8.医療機関内におけるHIV感染予防対策

(1) はじめに
 HIVは比較的感染力が弱く、また種々の消毒剤あるいは殺菌作用によっても容易に不活化されることが知られている。しかし、HIVの感染が成立した場合には、まだ充分な治療法が確立されていないので、医療機関では感染予防対策委員会を設置し、針刺し事故や血液飛沫事故等による、医療従事者、患者家族、他の患者への感染発生の防止や、また、事故発生時の適確な対応について備えておく必要がある。
 最近HIV感染者が増えてきているので、どこの病院、医院にも感染者が受診する可能性が高まっていること、またHIV感染症と気づかれずに診療されている例があることなどから、患者が来てからと言うのではなく、いつ受診しても大丈夫なように日常の対策が重要である。
 HIVは疫学的には主として血液、精液、膣分泌液を介して伝播するものであり、空気感染、飛沫感染、飲食物による経口感染、入浴、トイレ、食器などの共用による感染、同一家屋内の居住を介した感染及び日常または社交上の接触による感染の報告はない。医療の場においては、体液や分泌液、特に血液を介しての感染の可能性が最も大きい。従ってHIV感染予防のため、持別な対応が必要という訳ではなく、基本的には血液・体液媒介性感染症一般に対する注意を遵守することで充分である。血液媒介性感染症の代表はB型肝炎ウイルス(HBV)によるものであるが、汚染事故によるHBVの感染率はHIVに比べはるかに高く、HBV感染予防の原則が正しく守られるならばHIVの感染予防に充分である。HBV感染より推測すると医療事故としては、HIV感染者の血液で汚染された注射針ないし鋭端を有する器具による経皮的暴露が最も多いと推定される。
 いかに注意深く仕事をしていても、ある確率で針刺しなどの事故が起こることも事実であるので、各施設の院内感染対策委員会などを通じ、各部署でこれまでの事故の実態を調査し、それに基づいた具体的対策を検討し、実施することが望ましい。その際、過剰防衛となったり、診療、看護に対して消極的になったり、他の患者と差別することにならないよう、充分配慮する。針などによる穿刺事故によるHIVの感染率は0.5%弱といわれている。
 以下に院内感染予防上、重要と思われる留意点、汚染物の消毒法その他について具体例を交えて記述する。なお、厚生省保健医療局結核・感染症対策室より「HIV医療機関内感染予防対策指針」が出されているので、併せて参考にされたい。
(2) 感染予防対策
  1. 医療用器具の取扱いについて
    1) 注射針、メス、その他の鋭利な器具による刺傷、切傷を受けないよう最大限の注意を払う。 
    2) 使い捨ての注射器、注射針、メス等鋭利な器具は穿通できない容器に捨てる。使用後の注射針にキャップを戻すとき(リキャッピング)の針刺し事故が最も多いので、使用した針には再度キャップをつけず、そのまま容器に捨てるなどの工夫をする。
    3) 他の器具類の取扱いにも十分注意し、できるものはディスポーザブルとするか感染者専用とする。
  2. 手袋、予防衣などの着用について
     必要に応じ、手袋、予防衣などを着用する。ただし過剰な防護とならないよう留意する。
     大まかな準備は次のとおりである。 
    1) 患者の通常の診療に際しては特別の防護を必要としない。ただし患者の皮膚などに滲出性の病変がある場合、もしくは医療従事者の手指に創傷や炎症のある場合は手袋を使用する。
    2) 血液、体液、排泄物及びこれらで汚染された器具類を取り扱う時は手袋を使用する。
    3) 内視鏡検査、病理解剖などの濃厚な接触が予想される場合は手袋の他に保護衣、マスク、保護眼鏡等を使用する。
     なお、表VIII-lに示すような防護グレードを各施設で定め、患者の状態及び処置の内容に応じて適したものを選択できるようにしておくと便利である。

表VIII-1 防護グレードの分類(例)
グレード 防御の内容 備考
特別な防護を必要としない 非観血的医療行為
(血液・体液に触れない日常業務)
II ゴム手袋着用
必要時マスク
小規模な観血的医療を伴う医療行為
(採血・注射・点滴・点滴抜針等)
患者の血液や体液に接触する医療行為
(ルンバール・肺生検・皮膚生検・マ
ルク等)
III マスク、ゴム手袋着用
必用時ガウン
中規模以上の観血的医療を伴う医療行為
(内視鏡検査・CVカテーテル挿入・胸
腔ドレナージ等)
IV ゴム手袋、マスク、ガウン、
靴カバー、必要時ゴーグル、
キャップ
大規模な観血的医療を伴う医療行為
(手術・血液透析・分娩等)
大量出血による室内汚染のある患者及
び精神・神経症状、痴呆などにより自分で清潔を保てない患者に対する医療行為等

  1. 汚染物の処理について
     血液、体液、分泌液等で汚染された物は、非通過性の容器または袋に納め消毒後、再生または廃棄処分にする(消毒法については後述)。そのまま廃棄するようなことがあってはならない。使用器具はなるべくディスポ製品を利用して使用後は焼却処分を行い、焼却困難なものは高圧滅菌を行う。なお、感染性医療廃棄物の取扱いの詳細については、「医療廃棄物処理ガイドライン」(厚生省水道環境部廃棄物対策室監修)を参照されたい。
  2. 検査材料の取扱いについて
    1) 検査用に採取した患者の血液、体液などの容器には、関係者に注意を促す標識をつける。
     ただしHIVに限定した標識とならないよう配慮する。
    2) 感染性材料は、飛沫やエアロゾルの形で飛散することを最小限にとどめる。
    3) 感染性材料を扱うときは手袋と実験衣を着用する。
    4) ピペットなどは直接口で吸引してはならない。
    5) 注射器と針の扱いは、前記(1)l)、2)に準ずる。
    6) 感染性材料をこぼしたとき、並びに業務が終了したときは、作業場所の表面をアルコールまたは次亜塩素酸ソーダ溶液などの消毒薬で清拭する。
    7) 汚染の疑いのある材料及び器具は検査終了後、廃棄または再生に先立って全て消毒する。高圧滅菌が望ましい。
  3. 病室について
    1) HIV感染者に対して特に個室は必要ではない。ただし吐・下血、重症の下痢、大小便の失禁、中枢神経などの障害による行動異常等の症状が重く、身辺を清潔に保ちたい患者には個室が必要である。
    2) 健康人との面会も特に制限する必要はないが、乳幼児等抵抗力の弱い者あるいは結核などの感染症のある者との濃厚な接触は避けるようにする。
  4. 各部署における院内感染予防対策
     上に述べた留意点は、多くの部署に共通した事項であるが、手術時、透析時、歯科的処置時、剖検時などには血液、体液に接触する機会が多いので、さらに注意が必要である。
    各部署で対策を講じ備えておく。
(3) 汚染者の消毒法
 WHOはHIVによって汚染されたものの消毒法として、次のものを推奨している(表VIII-2)。
 
表VIII-2 HIV汚染物の消毒法(WHO)
処埋方法 処理条件
次亜塩素酸ナトリウム 0.5% 10〜30分
フォルムアルデヒド  5% 10〜30分
エタノール  70% 10〜30分
グルタールアルデヒド
 2% 10〜30分
煮  沸 20分  
高圧滅菌 121℃ 20分  

  1. 加熱処理
      煮沸 20分
      高圧滅菌(121℃)20分
  2. 消毒薬処理
      エタノール(70%)
      グルタールアルデヒド(2%)
      次亜塩素酸ナトリウム(0.5%)
      ホルマリン水(5%)
    以上、いずれも室温で10〜30分処理する。
     この他に80%エタノール(5分)、50%エタノール(10分)、50%イソプロピルアルコール(10分)、0.5%ホルマリン水(10分)などもよいとされており、またポリビニールピロリドンヨウ素剤、エチレンオキサイドガス、ヨードホルム液も有効とされている。
     具体的な消毒法の一例を表VIII-3に示す。各施設で対象物により、実状に合った方法を選択する。

表VIII-3 HIV汚染物消毒法の具体例
 
対象 消毒薬等 濃度 消毒時間 備考
体温計
エタノール
次亜塩素酸ナトリウム
70〜80%
0.5%
10〜30分
10〜30分
充分清拭
薬液は毎日交換
器具
器材
エタノール
グルタールアルデヒト
70〜80%
2%
10〜30分
30〜60分
清拭又は浸漬
週3回薬液交換
衣類
リネン
加熱処埋
次亜塩素酸ナトリウム
78〜80℃
0.5%
30分
10〜30分
加熱
浸潰
寝具 ホルマリンガス エフゲン
50g/200l
7時間以上 くん蒸
食器 次亜塩素酸ナトリウム

加熱処理
0.5%

78〜80℃
10〜30分

30分
浸債
汚染のない場合は
普通に扱ってよい
可燃物 高圧滅菌 121℃
20分
その後焼却
不燃物 高圧滅菌 121℃
20分
 
排泄物
(下血時)
次亜塩素酸ナトリウム 2%
1時間浸漬
下血のない場合は
普通に扱ってよい

テーブル
次亜塩素酸ナトリウム
エタノール
1〜2%
70〜80%
10〜30分
10〜30分
撒布
噴霧、清拭

(4) 汚染事故時の対処
  1. 医療従事者の手指等がHIV感染者の血液、体液等で汚染された場合、無傷であれば流水で充分に洗い、エタノール等で消毒する。
  2. 汚染された注射針、メスその他の鋭利な器材で刺傷、切傷を受けた場合(汚染事故)は、直ちに傷口からなるべく血液をしぼり出しながら、流水で充分に洗い、エタノール等で消毒する。当該医療従事者は直ちに所属長、感染予防委員会等に報告し、指示を仰ぐ。
  3. 上記(2)に汚染事故があった場合、当該医療従事者は事故直後、1カ月後、3カ月後、6カ月後及び1年後にHIV抗体その他の検査を受ける。
  4. 汚染事故のあった医療従事者から採取されたHIV抗体検査用の検体は、後の検査に備えて長期間凍結保存しておくことが望ましい。
  5. 上記(2)に相当する汚染事故に遭った場合、感染予防にAZTの内服(1回200mg、1日6回、4〜6週間)が試みられている(MMWR39(RR-l);1-14、1990)。この有効性についての完全な証明はなされていないものの、AZTはHIVの複製を抑制する作用があり、また、AIDS発症前の予防投与の効果も確認されていることから、事故後の感染予防措置としては現時点でとりうる唯一の方法であると考えられている。
(5) 職員の教育及び健康管理
 医療従事者はHIV感染症に対する正しい知識を身につけなければならない。HIVに関する学習会、講習会などを開き、HIV及びHIV感染症に対する理解を深める必要がある。HIV感染者あるいはその検体等に接する職員は定期的にHIV抗体の検査を受けることが望ましい。
(6) HIV感染者に対する教育及び保健指導
 医療機関の内外を問わず、出血時の対処の仕方、HIV感染症拡散防止方法、日常の健康管理などにつき指導しておく。次のような点を網羅する。
  1. 鼻出血や外傷、月経時の出血はなるべく感染者本人が処理する。
  2. 血液、体液が付着したものは、よく拭き取った後、流水でよく洗い流す。拭き取った紙などは焼却するか、ビニール袋などに包んでから捨てる。
  3. カミソリ、歯ブラシ、くしなど血液のつきやすい日用品は他人と共用しない。
  4. 性生活では、相手への感染防止のため体液が直接触れないように注意する。コンドームの使用は感染の予防に有効である。
  5. 妊娠する可能性のある女性の場合には、母子感染の可能性について指導する。
  6. 健康の自己管理をよくし、過度な体力の消耗を避ける。
  7. 定期的に医療機関を受診し、適切な時期に適切な発症予防処置や治療を受けるようにする。