HIV感染症に関する臨床研究

東京大学医学部感染制御学/感染症内科 木村 哲 



1. 研究の目的および重点課題
 この班はHIV感染症の治療法の検討・開発とか、HIV感染症に関連して生じて来る日和見感染症の早期診断法や治療法の検討・開発などを主たる目的としています。HIV感染症に対する治療では抗HIV薬を3剤併用した抗HIV療(HAART)が良いことが知られていますが、HAARTをやっていても耐性ウイルスができて効かなくなって来る心配があります。耐性を抑えるためにはどのような組み合わせによるHAARTが至適なのか、まだ判っていません。また、免疫力が落ちてくるといろいろな日和見感染症が生じて来ますが、これらにはその病原体の検出や診断が難しいものが多いのが現状です。そこで本研究の重点課題としては、耐性ウイルスができにくく長期の治療に適したHAARTの組み合わせはどのようなものであるかを明らかにすることと、合併症の病原体の検出方法、診断方法の開発の2点を取り上げました。

2. 研究の組織
 研究班は表1に示すメンバーで組織されています。それぞれの班員の下に何人かの研究協力者がいて研究していますので、実際にこの班の研究に関係している人は数十人になります。また全国の約360の拠点病院にも調査その他で多大な協力を頂いています。

3. 研究の成果
(a)至適抗HIV治療法を見い出すための検討
 日本でも3剤併用によるHAARTが可能になりましたが、日本人にとってどの組み合わせが飲みやすく効果的なのかは全く不明です。そこで当研究班では、全国で行われている治療法を集計し、比較しました。822症例につき解析した結果、症例数や観察期間が十分でない部分もあるので、断定的なことは言えませんが、初回治療としてはAZT+3TC+IndinavirとAZT+3TC+Nelfinavirの組み合わせは2年間安定した効果を示すことが示されました。d4T+3TC+Indinavirは、抗HIV効果が前2者より強力でしたが、まだ2年目の症例が少なく、長期効果は不明でした。d4T+3TC+Nelfinavirはやや劣る感じでした。その他の組み合わせは、まだ症例数が少なく、評価不能でした。また前治療歴がなく初回治療のHAARTの成績が最も良いことが示されましたので、初回のHAARTでアドヒアランスを良く保ち、しっかり治療することが大切であることが裏付けられました。

(b)HIVの薬剤耐性変異検査の有用性に関する研究
 これまでに130名余りのHAART療法中の患者さんのHIVを調べた範囲では、約60%の患者さんでは治療開始後3カ月以内に血漿中HIVが103コピー/mL未満となり、その後も耐性ウイルスの出現はみられない。一方、3カ月後に血漿中HIVが104コピー/mL以上の患者さんは20%弱で、これらの患者さんでは9カ月後までに全員が耐性ウイルスを持つようになり、CD4陽性リンパ球数も徐々に低下しました。このような結果から、HAART開始後3カ月目の血漿中ウイルス量が103未満の群では耐性ウイルスは当面出現しないので、その治療を安心して続けられること、104以上の群では全員耐性化するので、早目に治療薬を変更するべきであることが明確に示されました。

(c)新規抗HIV薬の開発
 核酸系逆転写酵素阻害活性をスクリーニングした結果、F-ddAが有望であることを見い出しました。この物質は胃酸で分解されることもなく、吸収率も高い。更に耐性ウイルスができても、その耐性度が軽度であり、他の核酸系逆転写酵素阻害薬との間に交差耐性が認められない、など多くの利点を持った薬剤と考えられます。このような長所が注目され、現在アメリカで臨床試験が行われていますが、副作用の点で問題があるようです。さらにはCCR-5の結合領域の類似物をデザインし、CCR-5との結合阻害薬を開発する研究も進められています。

(d)日和見感染症の全国調査
 日和見感染症に対する対策を立てるには、先ずその実態を知る必要があります。その実態は国により大きく異なるので、海外のdataはあてにならず、日本独自のdataが必要です。そこで全国の拠点病院の協力のもとに1995年から1998年までエイズ指標疾患を毎年調査し、約1,100例の報告を頂きました。1位がカリニ肺炎(28%)で、以下カンジダ症(15%)、サイトメガロウイルス感染症(14%)、結核(9%)、非定型抗酸菌症(6%)の順でありました。この実態は他のアジア諸国のものとも、アメリカのものとも異なっています。カリニ肺炎の場合発症の時期もCD4陽性リンパ球数でみると、今迄言われていたよりも遅く、日本では発症予防投与開始時期を従来の200個/μLから100個/μLに切り下げても良いのではないかと思われます。

(e)日和見感染症のPCR診断
 日和見感染症の制御には早期診断、早期治療が決め手となります。PCR診断は早期診断に適しているうえ、治療効果の判定にも威力を発揮します。当研究班では、これまでにpneumocystis carinii、Mycobacterium tuberculosis、Aspergillus、Toxoplasma gondii、cytomegalovirus、JC virus、EB virusなどに対するPCR系を確立し、早期診断と治療効果モニターに活用しています。鑑別診断が特に難しい脳病変のトキソプラズマ脳炎、脳原発リンパ腫、進行性多巣性白質脳症につき、それぞれT. gondii、EB virus、JC virusをターゲットとし、髄液でPCRを行い、各85〜100%の確率で診断できる系を確立できました。

(f)日和見感染症診断検査法の講習会
 HIV感染症/エイズにみられる原虫症や寄生虫感染症には稀なものが多いため、検査部における検出能力、診断能力に不安がありました。そこで当研究班では毎年2回ずつ計6回、拠点病院の検査技師を対象に、1病院から1名を限度として希望を募り、実習主体の講習会を実施しました。計400名以上が参加し、大変好評でした。

(g)針刺し事故の全国調査
 針刺しなどの汚染事故で医療従事者がHIVに感染するそのような事が起こると多くの医療機関が警戒し、患者さんの受け入れ体制が大きく後退してしまう虞れがあります。そこで、事故防止対策策定の参考にするため、これも全国の拠点病院にお願いし、事故状況の調査をいたしました。過去3年間で約15,000件の事故報告を頂きました。日本で最大規模の集計です。この中でHIV陽性例での事故は88件でしたが、これによる感染例は0でした。しかし、依然としてリキャップ時の事故と翼状針による事故が多く、アメリカの情況と大きく異なっています。アメリカではリキャップ禁止が徹底され、リキャップ不要な安全装置付きの器材を使用するよう全ての医療機関に義務づける州が増えており、近々そのような州が20州を越える見込みで、日本も見習うべきでありましょう。

(h)男性HIV感染者における配偶者間人工授精に関する研究
 性行為によるHIVの伝播が感染経路となっている本疾患においては、感染予防と挙児希望を共に満たすことはなかなか困難といえます。しかし、HAARTの進歩に伴い挙児を希望する患者さんが増えていることから、精液よりHIVを除去し、妊孕性のある精子を選別する方法を種々試みています。現在のところ、swim-up法、密度勾配法などによりHIV量を大幅に減少させることには成功していますが、完全に除去することはできず、更に改良を進めています。

4. 今後の展望
 以上、木村班の主な活動につき述べました。 
 これ以外にも、多くの研究が熱心に進められています。いずれも大切な研究ですが書ききれませんでした。HIV感染症の臨床研究は広く感染症全体を知らなければできません。その意味で木村班にはHIVの専門家の他に、感染症の専門家にも加わってもらって協同研究を進めて来ました。これにより、HIV感染症の研究の輪が、大分広がって来たので、今後の進歩が楽しみです。HAARTについてもどの組み合わせが良いか見当がついたので、プロスペクスタディにつなげる資料となります。日和見感染症の分野では発症の予知・予測とそれに基づく効率的な予防法と早期発見への道が拓かれました。これを推進することにより経済効率良く患者さんのQOLを高く保つことが可能になると思われます。

5. 研究者構成
主任研究者 木村 哲 東京大学医学部教授
班 員 岡 慎一 国立国際医療センター部長
河野 茂 長崎大学医学部教授
齋藤 厚 琉球大学医学部教授
下山 孝 兵庫医科大学教授
竹内 勤 慶應義塾大学医学部教授
満屋裕明 熊本大学医学部教授
箕浦茂樹 国立国際医療センター医長
森  亨 財団法人結核予防会結核研究所所長
安岡 彰 国立国際医療センター医長
吉崎和幸 大阪大学医学部教授
米山彰子 東京大学医学部附属病院講師