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第8回アジア太平洋地域エイズ国際会議参加報告書
 

(特活)アフリカ日本協議会
稲場 雅紀

エイズ対策の広大な「エア・ポケット」としてのアジア・太平洋

=移住労働者対策と「サービス提供者主導検査・カウンセリング」( PITC )について=

1.アジア・太平洋地域の苦悩

 2000 年の沖縄 G8 サミット以降、 HIV/AIDS をはじめとする感染症対策は世界的に大きな前進をみた。世界エイズ・結核・マラリア対策基金(世界基金)の設立や各国連機関・ドナー国の二国間援助機関、わけても HIV 陽性者・当事者をはじめとする市民社会の尽力により、エイズ対策資金はかつての 10 億ドル程度から 2007 年には 100 億ドルまで拡大し、途上国で HIV 治療を受けている人々の人口も 2002 年の 22 万人から 2007 年の 200 万人まで増大した。 2001 年の国連エイズ特別総会で採択された「コミットメント宣言」で「国家の政治的意志」が強調されたことから、多くの国々で国家計画が策定され、政策面でも大きな進歩がみられている。

  こうした進歩から大きく取り残されているのが、アジア・太平洋地域である。

  アジア・太平洋地域の HIV/AIDS への取り組みには、以下の問題が存在している。

(1)低い感染率と、それがもたらす国家の政治的意志の薄弱さ
 アジア・太平洋地域はいずれも感染率が低く、もしくは感染が男性同性愛者、性産業従事者、移住労働者、薬物使用者など HIV 感染に脆弱性をもつコミュニティに集中しているため、各国政府は HIV/AIDS を国家的な課題として認識しておらず、形式上、国家エイズ委員会の設置や国家計画の策定がみられても、それが実際に省庁やセクターをこえた動きに繋がっていない。また、 HIV 陽性者の入国規制や同性間性行為を規制する反ソドミー法、セックス・ワークの犯罪化など、脆弱なコミュニティにおける効果的な対策を阻害する各種の法律の改正などもほとんど進んでいない。

(2)広域的な課題へのアプローチの弱さ
 アジア・太平洋地域は、移住労働者と HIV/AIDS の問題に典型的に見られるように、 HIV/AIDS 問題は各国の国内に完結していない。脆弱なコミュニティにおけるエイズ対策は、広域的に取り組まれる必要がある。ところが、世界の HIV/AIDS 対策は、「国家」を単位として編成されているために、広域的な取り組みが充分に行えておらず、資金についても、国単位に分断されているため、広域的な取り組みに繋がっていない。

(3)当事者・市民社会の声が反映される仕組みの脆弱さ
 アジア・太平洋地域には、広域および各国単位で HIV/AIDS への市民社会の強力な取り組みが存在している。ところが、多くの国々では、政府の政治的意志の薄弱さ、および、伝統的に作り上げられてきた権威主義的・官僚主義的な政府機構により、市民社会の声がほとんど反映されない状況が生じている。

(4)アジア・太平洋地域の HIV/AIDS 問題への国際的な関心の薄さ
 エイズ問題に関する国際的な関心は、その多くがサハラ以南アフリカ、および東欧・中央アジア地域などに集中しており、アジア・太平洋地域には充分な関心が注がれていない。その結果、国際機関・各国の二国間援助機関などの援助は、アジア・太平洋地域が持つ特性を充分に把握することなく、他の地域で行われている方法論を直輸入するものとなっており、結果として、アジア・太平洋地域では消化不良といった状況が生じている。

  アジア・太平洋地域の市民社会は、こうした過酷な状況の中で新たな戦略の形成を迫られているが、当該地域を代表する市民社会ネットワークはいずれも、資金や人材の不足により機能不全に陥っており、状況をプロ・アクティブに変革していくだけの力を持ち得ていない。今回の会議において多く見られたのは、世界的には速いスピードで展開する、エイズに関わる政策の形成・実施がいずれも、アジア・太平洋地域の市民社会に直接の利益をもたらすわけではないなかで、何に優先順位を置き、どのように成果を作り出していくかに苦悩する多くの当事者・市民社会活動家の姿であった。

 

2.「サービス提供者主導検査・カウンセリング」( PITC )の問題

 アジア・太平洋地域の「エア・ポケット」としての側面が最も強く浮き彫りにされたのが、近年、世界保健機関( WHO )および国連合同エイズ計画( UNAIDS )が検査・カウンセリングの方法として打ち出した「サービス提供者主導検査・カウンセリング」( Provider Initiated Testing and Counseling: PITC )をめぐる問題である。

  PITC は、医療機関を訪れた人全てに HIV 検査の受診を促し、断った人以外には HIV 検査を行うというもので、もともとは、 HIV 陽性率が 30 %を超えたアフリカ南部のボツワナで、検査・治療体制を整えたにもかかわらず、検査を受けに来る人が少なかったことから、この方式が実験的に採用されたことに始まる。旧来の「自発的カウンセリング・検査」( Voluntary Counseling and Testing: VCT )では、「自発性」が重視され、 HIV 検査の守秘義務の厳守、事前・事後のカウンセリングの徹底が図られていたが、 PITC においては、もちろんカウンセリング、守秘義務遵守やインフォームド・コンセントの徹底の3つ( Counseling, Confidentiality, Informed Consent で「3C」という)は原則とされているものの、 HIV 陽性者を早期に発見し、早期に治療・ケアに結びつけることに重きが置かれている。

  WHO ・ UNAIDS が PITC を HIV 検査のコンポーネントとして位置づけ、世界的に普及を図っている一つの要因は、「 2010 年までの予防・ケア・治療への普遍的アクセスの実現」が国際目標になっていることに由来する。なるべく多くの人々を検査・治療・ケアのルートにつなげることで、治療にアクセスしている人数を増やし、需要を形成して、国際目標を達成しようということである。

  PITC が前面化したもう一つの理由としてあるのが、人権を重視する「 VCT 」では HIV 陽性者を十分に捕捉できず、公衆衛生政策上の阻害要因になりうる、とみて、治療の拡大の傾向とともに HIV/AIDS を結核やマラリアなどと同様の「ふつうの病気」として位置づけなおし、早期発見・早期治療のラインを引こうという国際公衆衛生官僚の思惑である。

  しかし、 HIV/AIDS は、未だに根治療法が開発されていないこと、社会的なスティグマ・差別が強固に存在していること、治療へのアクセスの体制が適切に整っていないことなどの特殊性があり、いま、この段階で HIV/AIDS を結核やマラリアと同様の「ふつうの病気」として扱うことはできないのは自明である。 PITC は、一定の条件が整っていなければ、適切に機能しないどころか、 HIV/AIDS 対策にとって大きな阻害要因となりうる。その条件とは、以下のようなものである。

(1)社会・職場・家庭などにおいて差別・スティグマが受忍可能な程度に軽減され、また、 HIV 感染を理由とする人権侵害に対して、利益を回復するための有効な紛争処理機関が存在していること。

(2)とくに、 HIV 感染に関して脆弱性をもつコミュニティにかかわる犯罪化・法規制が撤廃され、 HIV 感染や、特定の属性を持つことによって国家的な迫害を受ける可能性がないことが保障されていること。

(3)HIV 治療、日和見感染症治療、および HIV 感染にかかわる精神医療などへのアクセス、およびアクセスに至る道筋が明示的に保障されていること。

 このような条件に当てはまる地域はそれほど多くはないが、例えば、サハラ以南アフリカの主要国においては、政府の HIV/AIDS に関する政治的コミットメントが強く、また、各種の援助が効果的に機能している結果として、 HIV 感染の判明から治療へのアクセスまでのラインがしっかりしかれていること、差別・スティグマも啓発の効果により一定軽減されていることにより、 PITC の導入が普遍的アクセス目標の達成にむけて有効に機能することはあり得ると思われる。

  逆に、アジア地域の多くの国家においては、(1)~(3)の条件はほとんど満たされていない。アジア諸国の多くはかつての開発独裁の歴史を引きずり、民主的なシステムが充分に育っておらず、人権を尊重する紛争処理機関も未発達である。また、反ソドミー法、薬物に関して極端な重刑を科す法律、極端に厳しい移民法などを有する国が多く、 HIV 感染が判明した場合に何らかの国家的な弾圧を受ける可能性を否定しきれない。さらに、 HIV 対策の政治的意志が弱く、例えばアフリカに比べて保健システム自体は比較的機能していても、 HIV/AIDS 対策に特化した保健システム自体は脆弱である。こうした状況にある多くのアジア諸国で機械的に PITC を導入することに抵抗があるのは、けだし当然ということができる。アジアの特殊性を無視して、 PITC を機械的に導入することは、多くの弊害を生むと考えられる。

 

3.「移住労働者に親和的な検査・カウンセリング」の必要性

 このように、検査に関する議論が沸騰する中で、今回のアジア太平洋地域エイズ国際会議において、「人口移動に関する行動調査調整機構・アジア」( CARAM-Asia )が「移住労働者に親和的な検査・カウンセリング」( Migrant-Friendly Testing and Counseling )のフレームワークを打ち出したことは画期的であった。

  8月 21 日に CARAM-Asia が開催したワークショップにおいて打ち出されたこの枠組みでは、移住労働者に親和的な検査・カウンセリングは以下の条件を備えている必要があるとする。

(1)非差別

(2)移住労働者のおかれた文脈に対する責任

(3)移住労働者が能動的に行動できる環境の保障

 CARAM-Asia が提示したこの条件は、これまで検査・カウンセリングが満たすべき条件とされていた自発的カウンセリング・検査( VCT )を、より包括的かつ人権保障を重視する形で再定義したものといえる。

  韓国・台湾・インドをはじめとするアジア諸国、およびアジア諸国出身の移住労働者の受け入れ国となっている中東諸国の多くには、 HIV 感染を理由とする移住労働者の在留資格の停止や強制送還を可能とする法律が存在しており、実際に多くの移住労働者が、 HIV 陽性の判明によって帰国を余儀なくされている。検査の問題は、移住労働者の労働権、在留権やその生活に、密接に関係する問題なのである。

  このような状況下において、 PITC をアジア諸国に機械的に適用することの危険性は論を待たない。国際機関は、 PITC の導入以上に、各国政府の HIV/AIDS 対策への政治的意志の強化、エイズ対策を阻害する法律の廃止、 HIV 陽性者の人権の確立に向けた努力を強化すべきである。 PITC の導入は、こうした努力が成果をあげて、 HIV/AIDS と他の疾病の格差が狭まり、 HIV/AIDS がある程度、「ふつうの病気」に近づいてからでも遅くはない。