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第8回アジア太平洋地域エイズ国際会議参加報告書
 

日本HIV陽性者ネットワーク・ジャンププラス
長谷川 博史

テーマ:HIV陽性者の視点から見たアジア・太平洋地域の現状と問題

<はじめに>

  2007年8月19日から23日までの5日間、スリランカ民主社会主義共和国コロンボ市において第8回アジア太平洋地域国際エイズ会議(ICAAP)が開催された。通常、エイズ国際会議においては市民社会からの参加も多く、正式プログラムの開始以前に複数のフォーラムが開催される。そこで、公式プログラムの2日前に開催された Positive Forum や前日に開催された Community Forum から参加した。

  元来学術会議的な意味合いが強かったICAAPだが、最近では基礎分野からの参加は減少し、より当事者性の強い社会科学系の発表やCBO等の活動実践例が中心となってきている。この傾向はHIV感染症という疾病が単に医学領域の問題に留まることなく幅広い分野の横断的協働やアプローチなくしては解決しない現実から妥当な流れであると考えられる。

  神戸市において開催された第7回ICAAPではHIV陽性者の参加が大きく進んだ。この傾向は今回の会議においても引き継がれ、プログラムの随所にGIPA( Greater Involvement of People Living with HIV/AIDS :エイズ対策へのHIV陽性者の積極的参加)が強く意識されていた。

  しかし、いっぽうでHIV陽性者の視点から会議をふり返るとき、アジア独自の問題点と課題が浮かび上がって来る。その背景にあるのは欧・米・豪のキリスト教文化圏の先進諸国とは異なるアジアの文化・言語・宗教の多様性と西洋社会が主導する世界のエイズ対策とのギャップであった。

 

<険しいアジアのユニバーサル・アクセスへの道>

 8月18日にはHIV陽性者による Positive Forum が開催され、朝9時から夕方4時まで活発な議論が展開された。特に午後のセッションでは複数のグループに分かれ、問題解決に向けて活発な議論が行われた。

  各グループの討議テーマは次の通り。

  GIPAに関しては形式的な関与ではなく施策の意志決定レベル等、より高度な関与についての要求が見られた。治療アクセスについてはそれぞれに切実な問題だけに薬価問題、検査体制の整備、アドボカシーの必要性、政府機関をはじめとする治療提供側によるIDU・MSM・TGなどへの差別といった具体的な問題点が指摘された。ネットワーク形成に関してはHIV陽性者へのサポートの欠如が指摘され、ここでは言語の多様性が障害となっている国があることも確認された。

  社会調査のセッションはHIV陽性者の活動として新たに焦点が当てられたテーマで、ここで私はファシリテーションを受け持った。このセッションの目的は社会調査の必要性や結果の活用法などを認識し治療アクセスやGIPAなどHIV陽性者の諸活動に合理性と客観性を与え、科学的根拠や知識に基づいた活動を推進することであったが、そのテーマが新しかったために、その理念が十分に認知されておらず参加者は少数であった。

  現在、国際機関や国際的基金によって提供されるプログラムのほとんどは欧・米・豪の先進諸国で開発されたプログラムである。しかし、このような資金提供者主導型( donor driven )のプロジェクトマネージメントにはその効果について限界がある。たとえばプロジェクトに潤沢な資金が供給されている間は一定の効果が期待できるが、これらのプログラムは木に竹を接ぐ例えのように全く社会背景の異なるアジアの、特にコミュニティレベルにおいて根付くことが期待出来ない場合も考えられる。つまり提供されているプログラムがアジア諸国において持続可能なものであるか否かを検証する必要がある。これに対して当事者的視点からそれぞれの国における文化的親和性や社会構造上の適合性など、社会学的な検証が必要となる。この問題は今後国際社会の支援のあり方そのものを考えるとき、極めて重要な課題となってくると考えられる。

  このフォーラムで確認されたことはアジア各国におけるユニバーサル・アクセス(予防、治療、ケア・サポートへの包括的アクセス)には多くの障害が存在していることであり、その大前提としてHIV/エイズに対するスティグマと差別の問題が横たわっており、これを克服して前進する上で今回討議されたテーマすべてにおいてHIV陽性者自身が果たすべき役割は大きい、ということだった。

 

<アジアのMSM問題>

 今会議では演題発表、シンポジウム、スキルス・ビルディング・ワークショップなど、多くのセッションがMSMの予防について取り上げている点が印象的だった。

  ここ数年アジアにおける疫学調査が進む中で各国に一定の割合で男性同性間性的接触による感染の広がりが認められたことと(UNAIDSによると世界中のMSMによる感染が少なくとも5%?10%を占め、メコン地域ではMSMにおける感染率が3%?17%と一般人口の5倍から15倍に達している)、これを受けて国際機関やUSAIDを初めとする国際的基金がアジアのMSMの予防介入プログラムへ膨大な資金を拠出し始めたことがその背景にある。

 今年3月にはアジア太平洋陽性者ネットワーク(APN+)においてもMSMワーキンググループが組織され、 International HIV/ AIDS Alliance (以下 Alliance と表記)のメコン地域におけるMSMの予防介入にHIV陽性者の予防( positive prevention )の側面から協働することが決定した。会期中、 Alliance とAPN+はHIV陽性者の予防に関するシンポジウムとワークショップを開催し、私もこれに参加した。

  これらのセッションはMSMのHIV陽性者を主対象として開催されたものだったが、実際に参加したHIV陽性者はAPN+のワーキンググループへの参加者にほぼ限定されており、むしろ研究者、コンサルタント、NGO関係者等の非当事者の姿が多く目に付いた。またそのほとんどが欧・米・豪のゲイ解放が進んだ先進諸国の非アジア人であった。彼らの中から「先進社会の西洋人がアジアのMSMを導く必要がある」といった趣旨の極めて差別的な発言も飛び出し、一部の顰蹙を買っていた。

  アジア諸国では半数以上の国で宗教上の理由と大英帝国支配下で制定された反ソドミー法の存続によって男性同性間の性行為が違法とされており、マレーシア、インドネシアなどを含むイスラム圏、ヒンズー圏では死刑を含む極刑が科せられる国も多い。また、日本を含む中国、韓国、台湾などの東アジアの国々、タイ、ベトナムなどのメコン地域の仏教国においても不科罰ながら男性同性愛者に対して抑圧的な社会構造が存在している。

  現在、UNDPやUSAIDなどの資金によって進められているアジア(中国、メコン地域など)への予防介入プログラムはサンフランシスコやシドニーなどセクシュアリティを開示することに障害の少ない世界でも先進的なゲイコミュニティにおいて開発されたプログラムであり、これらがアジアのようなHIV/エイズとMSMであることへの二重のスティグマを抱える社会においてどれほどの効果が得られるかは未知数である。

  この懸念はすでに Alliance が開催したワークショップでも浮かび上がった。

  APN+を初めとする国際ネットワークは共通言語が英語であるために参加するHIV陽性者は教育水準も高く、西洋社会への親和性も高い。ゲイ自認も比較的明確な層である。そして彼らは、時には西洋社会に対して従属的な姿勢すら見せる。しかし、アジアのMSM層は同性間性行為が合法化されている東アジア諸国でも婚姻率の高さや可視性の低さといった欧・米・豪のゲイ解放先進国とは全く異なる状況にある。そのためこれらのシンポジウムに西アジア、南アジア、東アジアからの参加はほとんど見られなかった。すでにここに東西のMSMが置かれた文化的、社会的ギャップが浮かび上がっており、これをいかに埋めるかが重要な課題となってくると思われる。

  アジアのMSM対策を考えるとき、MSM対策やプログラム開発において日本、韓国、タイといったゲイ解放の中開発国とも言える東アジア諸国が果たす役割は大きい。

 

<PITCとVCT>

 本年5月30日にWHOおよびUNAIDSによって検査に関する新たなガイドライン Guidance on Provider-initiated HIV Testing Counseling( PITC ) が発表された。これは従来のVCTの検査原則と異なり受検者の自発性( Voluntary )と相談( Counseling )を尊重するものから、医療・保健のサービス提供者が主導的にハイリスクと見なされる人々を対象に積極的に検査を推進していくことを提唱したものである。

  これに対してHIV陽性者やコミュニティで活動するNGOさらには支援団体、医師、保健師が参加していくつかのセッションが開催された(サテライトシンポジウム‘ Is Opt-Out HIV Testing in? '/ASAP: Aids Society of Asia and Pacific 、APN+の共同開催、シンポジウムセクシュアル・ヘルス&ライツとHIV/IPPF: International Planned Parenthood Federation 主催、等)ではこれに対し強い反発が示された。

  指摘されたのは主に次の2点であった。

 実際にPITCはHIVの治療環境が整い、ケア・サポートへのアクセスが保証され、疾病の意味が広く理解される程に予防情報が行き渡っている等、検査の準備性が十分に備わった社会環境で初めて有効になる。UNAIDSの独立した内部組織である Reference Group on HIV and Human Rights はこれを進めるに当たっては十分な事前説明( informed consent )がなされ、個人情報が守られ( Confidentiality )、相談機会の同時提供( Counseling and Testing )という「3つのC」が前提となるべきであると提唱している。

  また、この理念の登場の背景は03年アメリカ合衆国CDC(感染症管理センター)の検査に関する勧告( Recommendations of CDC, the Health Resources and Services Administration, the National Institutes of Health, and the HIV Medicine Association of the Infectious Diseases Society of America )がある。ここにおいてもAIDS対策にHIV陽性者の視点が欠如している。特に、欧・米・豪のような女性やMSM、IDUに対する偏見がある程度解消され、十分な人権が保障された先進国においてPITCは社会防衛よりも個人のヘルスプロモーションの意味合いが大きくなるが、途上国の一部にあるような男性同性間の性行為が非合法とされていたり、女性差別的な宗教戒律が残された社会ではこれが政府や医療者によって強権的に発動され、人権侵害が行われる可能性は十分に残されている。

  さらに、東アジア等の社会構造的にMSMや性産業従事者に対する抑圧が厳しい地域においてもこのガイダンスは十分に機能しないと予測される。むしろ彼らを地下に潜らせ、医療・保健サービスから遠ざける可能性をも有している。

  わが国のように治療提供体制が整っている状況下ではPITCの導入は検討の余地があると言えるが、それでもMSMや移住労働者、IDUなどへの社会的抑圧は未だ根強く、HIV/エイズにまつわるスティグマはいっこうに改善されていない。このような状況下でのPITC導入には負の要素も数多く残されていることが認識されなければならない。

 

<最後に>

 大英帝国の植民地として発展し建造物にコロニアルな様式を残したコロンボ市で開催された第8回アジア太平洋国際エイズ会議は西洋とアジアの関係性を極めて象徴的に映し出した。欧・米・豪の資金提供者主導による対策が従属的な一部の特権的受益者によって遂行された場合、その抑止効果はどれほどの持続可能性を担保できるのか。アフリカ諸国の一部に見られたように国際的資金が引き上げられた時、予防介入プログラムがどれほどアジアの地域社会に根付いているかは未だ不明である。

  これら西洋の先行事例が科学的根拠に基づき有効なプログラムであることは否定しないが、その科学的根拠は西洋社会の文脈において検証されたものであり、アジアにおいて実践される場合その与条件そのものが異なっている可能性もある。問題はアジアと西洋社会の文化と社会構造の差異であり、文化や言語の多様性から生まれる精神性や行動規範の差異である。アジアにおけるエイズ対策はアジア的文脈においてその効果を再検証する必要がある。

  この視点でアジアにおけるユニバーサル・アクセスを考えるとき、その強弱は別としてスティグマや社会的脆弱性等、同質の障害を抱えた日本はアジアのエイズ対策のさまざまな場面で、今後、日本の研究、特に日本的文脈、アジア的文脈を尊重した社会学領域の研究成果が洋の東西のギャップを埋める役割として貢献する余地は大きいと実感した。