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第9回アジア太平洋地域国際エイズ会議参加報告書
 

名古屋市立大学看護学部/(財)エイズ予防財団サーチレジデント
新ヶ江 章友

はじめに

今回の私の学会参加の目的は、次の二点であった。一つはポスター発表を行うこと、もう一つは近年のアジア・太平洋地域におけるMSM(Men who have Sex with Men)のHIV 流行状況を理解し、MSM に対するHIV/AIDS 予防施策の動向を把握することである。本報告書では、二点目の、近年のアジア・太平洋地域におけるMSM に対するHIV/AIDS 研究の動向を簡単にまとめてみたい。

本報告では、とりわけ今回の会議の総括として次の二点について注目する。(1)研究報告の動向として社会学や文化人類学的視点による発表が増加してきており、新たに「実践(practice)」という概念が登場してきているということ、(2)MSMに対するHIV/AIDS予防施策において、アジア・太平洋地域における「ゲイ・コミュニティ」をベースとした介入の足並みが揃ってきたということである。

(1) 行動(behavior)から実践(practice)の理解へ
今回の会議でも、文化人類学者による発表がいくつもあった。文化人類学による研究は、従来の疫学や行動科学によって行われてきた研究を補足する形で行われている。「ある地域においてHIV/AIDS がなぜそのように流行しているのか」という問いに対する答えを社会・文化的側面から理解するために、文化人類学による視点が重要となってくる。MSM とHIV/AIDS をめぐる文化人類学の発表をかなり大雑把にまとめるならば、「同性間の性行為が社会・文化の中でどのように意味づけされ、そのネガティブな(あるいはポジティブな)意味づけが実際のMSM の性行動にどのように影響しているのかを理解する」ということである。したがってこの理解は、MSM やHIV/AIDSに対するスティグマや差別の問題と密接に関連している。

とりわけ1980 年代以降のHIV/AIDS のグローバルな流行に伴い、同性間の性的接触をめぐるさまざまな西欧由来の用語が世界各地に拡散し、研究の中でも使用されるようになってきた。その一つが「gay」や「lesbian」という「個」を強調する自己アイデンティティと結びついた用語であり、あるいは西欧のアイデンティティ概念では理解できないような非西欧における男性同性間の性行為を理解する上で生み出された「MSM」という用語である。しかしこれら西欧由来の用語は、必ずしも様々な地域文化におけるローカルなレベルでそのまま使用されているわけではない。例えばAung Min Thein の発表によると、ミャンマーでHIV/AIDS 予防活動を行っているNGO スタッフの間では、欧米を中心として使用されている「gender」、「homosexual」、「MSM」などの用語が必ずしも理解されていないと指摘している。ミャンマーのローカルな現場では、「男性同性間でセックスを楽しむ人」という意味を指す「meinmasha」という用語が使用されているが、この用語は「apwint(女性的なアイデンティティをもつMSM)」、「apone(男性的なアイデンティティをもつMSM)」、「thange(ヘテロセクシュアル男性だがapwint やapone と短期的あるいは長期的な関係をもつ)」という3 つに区分されるという。これらの用語法はローカルなNGO スタッフでも理解可能だが、各NGO によっては全く異なった意味で使用されることも多い。したがって予防介入の場面では、これら現地で使用されているlocal terms を用いつつそれらの用語に付与されたスティグマの意味を考慮しながら、社会・文化的背景をよく理解したスタッフによって啓発活動を展開していく必要があるという指摘がなされていた(TuOC08-03)。

このMSM という用語は、「ゲイ」や「同性愛者」という「アイデンティティ」ではなく「行動」を示す用語として1990 年代の初めから公衆衛生の分野で使用されるようになった。このMSMという用語の使用に対しては当初「ゲイ・アクティビスト」らからの批判があったが、近年のHIV/AIDS 研究においては誰もが日常的に使用する用語となった。しかし現在、MSM という用語の使用に対して再検討され始めている。近年「MSM コミュニティ」という用語がしばしば使用されているが、そもそも「コミュニティ」という概念は「アイデンティティ」と強く関係付けられた用語である。MSM は「アイデンティティ」によらない「行動」のみに着目する概念であったはずなのに、「MSMコミュニティ」という用語自体が自家撞着なのである。つまり、MSM という用語自体が「アイデンティティ」化されて使用されているということである。「アイデンティティ」と「行動」を分離して理解すること自体、そもそも不可能だったのである。

この「行動」と「アイデンティティ」の二分化を超えて、それを融合する用語として注目されている用語が「実践(practice)」である。この「実践」とは、単に「行動」と「アイデンティティ」を融合したものではない。そもそも「アイデンティティ」とは、人々と社会・文化的価値観や経験、「行動」を共有することによって生まれるものである。ある人が「ゲイ」だと自認する過程は、ある「個人」が一人で行うことはできない。つまり、その経験を共有する他者とのネットワークに「参加」することによって初めて「ゲイ」という自認が可能になるのであって、このつながりが次第に「コミュニティ」という「実践」として結晶化していくと考えられる。例えばインドネシアで調査を行っているTom Boellstorff は、予防の知識を「実践」につなげることがいかにして可能なのかという報告を行った。インドネシアのMSM に対する質問紙調査では、HIV/AIDS の予防をめぐる知識は非常に高い。しかし、それが実際の予防「行動」には結びついていない点を指摘した。彼の指摘で重要なのは、「行動」変容は「個人」レベルだけではなく「コミュニティ」レベルでも必要だという点である。その「行動」を「コミュニティ」レベルで変容させていく一つの「実践」として、彼は「フォーカスグループ(インドネシア語ではkelompok diskus)」に着目している。「フォーカスグループ」とはマーケティングリサーチの文脈で使用されてきた言葉であるが、その文脈において「フォーカスグループ」とは、互いに知らない人々が1 回限りの出会いの中で1 回限り行われるグループ対話を意味する。

しかしBoellstorff は、この「フォーカスグループ」の対話を「コミュニティ」形成の重要な一過程として応用する。ある人々がある問題を共有して集まる「コミュニティ」の形成には、定期的に会うこと、そして友人などの紹介を通したソーシャルネットワークを通してなされることが必要であると指摘する。そして「コミュニティ」形成には、スタッフの雇用とトレーニング、アウトリーチ、コミュニティ・リーダーの育成、月ごとのミーティング、「フォーカスグループ」の継続などが必要となる。Boellstorff がこの「コミュニティ」形成に着目した具体的事例の一つとして、彼が関わっている「フォーカスグループ」の実践を紹介している。彼の関わるNGO のメンバーの一人であった「waria(女装をした男性を指すインドネシア語)」の友人が、自らがHIV に感染したことを突然メンバーに「証言(testimony)」しはじめた1)。このように、NGO のメンバーが自らの経験を「証言」として語りそれを共有することを、HIV/AIDS に関する経験や知識を「実践」として共有していく過程として捉え、この「実践」そのものが「コミュニティ」レベルでの規範(norm)を変えていくことにつながるのだと言う。その上で、「コミュニティ」とはそこにあるものではなく「作る」ものなのだと指摘している(WeOA17-04)。

(2) アジア・太平洋地域における「ゲイ・コミュニティ」をベースとした予防介入
Boellstorff が指摘するような「コミュニティ」は、今回のICAAP にとって重要なテーマの一つであった。しかし、この「コミュニティ」の生成にとって重要な一つの条件がある。それは、活動のための資金である。MSM に対するHIV/AIDS 施策と国際協力に関しては岡島(2009)によりすでに報告されているのでここでは省略するが、アジア・太平洋地域の多くの国々・地域におけるMSM のHIV/AIDS 予防に対して国際機関や政府機関などから資金提供がなされている2)。このような資金的条件が整うことによってはじめて、「コミュニティ」の場が形成されることになる。ここでいう「コミュニティ」とは、「フォーカスグループ」と異なり、活動のための場が確保され、定期的な集会とソーシャルネットワークを通した参加を通して形成されるものである。

このような「コミュニティ」としての場は、日本のみならず、シンガポール、マレーシア、香港、台湾、タイ、中国で形成されつつある。ICAAP の2 日目の夜に、東アジアや東南アジアの「先進諸国」におけるMSM 間のHIV 感染流行状況が、それぞれの国の疫学研究者やNGO によって報告された(TuSM18)。新規HIV 感染者の中に占められるMSM の割合は、それぞれの国によって異なっている。しかしいずれの国においても、経年サーベイランスにおいて、新規HIV 感染者に占めるMSM の割合は増加している。その増加が特に顕著な国がタイであり、また中国の北京やハルピンでもMSM 間のHIV 感染の急増が報告されている。

それぞれの国や地域によってMSM 間でのHIV 感染状況は異なっているが、いわゆる「コミュニティ」をベースとした予防介入施策がいずれの国や地域においても展開されていることが、本報告から確認された。例えばマレーシアでは「同性愛」行為そのものが違法であるため、MSM に特化した国家プランも存在しない。しかしクアラルンプールには「ピンク・トライアングル」という団体が以前からあり、MSM に対する「コミュニティ」ベースのHIV 予防のためのアウトリーチやカウンセリングが行われている。一方問題点としては、活動のための資金が欠如しており、また「同性愛」行為が違法とされているという背景から、MSM による「コミュニティ」への自発的な参加がなく、MSMのエンパワーメントがないという指摘がなされていた。また香港においては、1993 年からCouncil for the AIDS Trust Found の支援によってMSM に対する「コミュニティ」ベースでの予防啓発が展開され始めたが、当初の資金はごくわずかなものであった。しかし2006 年以降、「Do it Safely」と呼ばれるHIV 予防キャンペーンが赤十字社などの資金援助によって行われている。そこでは、コミュニティ参加、政府との協働のもとで活動が展開されている。これらのMSM を対象とした「コミュニティ」ベースのHIV/AIDS 予防啓発活動の多くは、いずれも国際機関による資金援助によって成り立っている。

おわりに
「実践」という用語への注目を考慮すれば、近年のHIV/AIDS研究におけるMSMに対する施策は「ゲイ・コミュニティ」をベースとして展開され、その「コミュニティ」を「エンパワーメント」させることが重要であるという指摘として捉えることができる。この「コミュニティ」と「エンパワーメント」というテーマは、今回のICAAP の一つの大きなテーマであった。しかし、「コミュニティ」と「エンパワーメント」が唱えられる背景はそれぞれの国や地域によってかなり異なっており、例えば「同性愛」行為が違法とされているマレーシアの場合と日本の場合とでは、その語られ方の文脈が全く違う。

現在、HIV/AIDS 研究において「実践」が注目されているのは、この「コミュニティ」が社会や文化の中でいかに形成されているのかを理解することの重要性である。日本の場合、いわゆる「ゲイ・コミュニティ」は同性愛に対する社会的差別や排除の中から形成されてきたネットワーク、つまり人々のつながりであり、その「コミュニティ」の「実践」が社会・文化の中でいかに位置付けられているのかを理解する必要がある。しかし、その「実践」を理解した上で具体的にどのような予防のための提言を行っていくのかを、今後さらに吟味していかなければならない。今回の学会での文化人類学者の発表でも、「実践」の理解を、では具体的にどのようにHIV/AIDS 予防施策の文脈で応用するのかまで踏み込んだ内容のものはあまり見られなかった。

さらに私自身の関心としては、「コミュニティ」をベースとした介入は当然必要であったとしても、その「例外状態」をどのように捉えることができるのだろうかということである。この点に関しては、今回の学会で発表がほとんど見られなかった(発表演題としてアブストラクトにいくつか挙がっていたものの、発表は行われなかった)。現在、「コミュニティ」をベースとした介入の足並みがアジア・太平洋地域で揃ってきたこの段階で、このテーマについて再考する時期にさしかかっているのではないかと感じた。

最後に、貴重な学会参加の機会を与えていただいた財団法人エイズ予防財団の方々に御礼申し上げます。

1) Boellstorff T: Nuri’s testimony: HIV/AIDS in Indonesia and bare knowledge. American
  Ethnologist 36(2): 351-363, 2009.
2) 岡島克樹: 第9 回アジア太平洋エイズ国際会議(バリ)参加報告.
  http://www.okajimakatsuki.com/