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第9回アジア太平洋地域国際エイズ会議参加報告書
 

大阪府立大学人間社会学部社会福祉学科准教授
東 優子

現在、サハラ砂漠以南のアフリカ諸国を除けば、MSM・静注麻薬使用者・セックスワークに係る人々(セックスワーカーとその顧客)がHIVの高い感染リスクにさらされている「脆弱な集団」として知られ、「セックスワークに係る人々」は日本のエイズ対策事業においても「個別施策層」の一つに挙げられているところである。今回、(財)エイズ予防財団の助成を受けて参加させていただいた第9回アジア太平洋地域国際会議(インドネシア・バリ島)では、セックスワークをキーワードに含む口頭/ポスター発表が65本もあり(比較例として、「カウンセリング」に関する演題は48本)、その他にもシンポジウムやワークショップが開催された。同じ時間帯にプログラムが重なることが多く、一緒に参加したSWASH(Sex Work and Sexual Health)のメンバーらと分担しながら、できるだけ多くの演題発表・講演に出席するようにした。ぜひ、そちらの報告もご参照いただきたい。

■基調講演「不公正・脆弱性・AIDS」

「少なくとも11カ国で成人男性同士の合意に基づくセックスが非合法とされ、警察によるハラスメントにさらされる状況下にあって、MSMのエンパワメントに何が期待できるだろうか。静注麻薬使用者がいまだ日常的に刑務所に送りこまれている一方で、麻薬に絡む金融家たちが自由の身で強大な力を握り続けるタイやインドネシアをはじめとする多くの国で、どうやってハーム・リダクションが十分な成果を上げることができようか。セックスワーカーたちが自由に顧客を選び交渉する自由をもたず、エージェントや人身取引の仲介者に縛られ続けている状況下で、どうやって自分たちの身を守ることなどできようか。」エイズ対策における「脆弱な集団」への支援の重要性と課題についてこう訴えたのは、Jon Ungphakorn(タイ・AIDS Access Foundation)である。

セックスワークに従事する人々を「保護・更生」の対象とする売春防止法が施行されている日本を含め、世界の多くの地域ではセックスワークに対して禁止政策が取られている。人身取引・強制的性労働という犯罪行為、性感染症/HIV感染の温床になっているという視線、あるいはそもそも「不道徳」な行為であるという視線によって、こうした禁止政策は広く社会的支持を得ている。これに対して、世界各国で組織されているセックスワーカーNGOは労働者としての権利・保障・職場の安全対策という視点での取り組みを求めており、最終日前日には各国から参集したセックスワーカーあるいはその支持者たちによる抗議行動も展開された。「セックスワークの脱犯罪化あるいは合法化の必要性」という具体的な文言こそ聞かれなかったものの、今回で発言したUNAIDS(国連エイズ合同計画)やILO(国際労働機構)をはじめとして、国際諸機関に所属する演者からもまた、禁止政策下にある国や地域でセックスワーカーの社会的・法的位置づけが生み出す問題を指摘する発言が相次いだ。

 

■100%コンドーム使用政策の現在

1980年代末からIDUに次いでSWの間でのHIV感染が拡大したタイで、政府が主導して実施した「100%コンドーム使用政策」は劇的な効果をもたらしたとして知られている。同政策は、タイに続いてカンボジア、ラオス、モンゴル、フィリピン、ベトナム、中国の一部でも実施されており、今回の演題でもベトナムでの「100%コンドーム使用政策」に関して報告があった。これによれば、2005/6年におけるセックスワーカーのコンドーム使用率は98%に達しており、HIV罹患率も1996年の7%から2006年には3%に下がっているという。

禁止政策下にある地域での「100%コンドーム使用政策」は、禁止薬物常用者のHIV感染予防対策として実践されている「注射針交換プログラム」などと同様に、「ハーム・リダクション」という実用主義的アプローチの典型例である。しかし上記のように劇的な効果が報告されている一方では、禁止政策下でのこうしたアプローチの実態には懸念すべき点も多い。今回の会議とは別になるが、タイとカンボジアにおける同政策のフォローアップとしてセックスワーカーへのインタビュー調査を実施したセックスワーカーNGOが告発するところによれば、この政策に絡んで様々な人権侵害(警察によるハラスメント・暴力、医療従事者からの差別的扱い、個人情報漏えいなど)の実態が報告されている。そこで、ベトナムにおける「100%コンドーム使用政策」においてこうした告発がどう教訓として生かされているか、あるいは人権的配慮としてどういった点に留意して政策を展開しているのか(ある種の期待をもって)を演者であるUNAIDS関係者に質問してみたのだが、「ベトナムではそうした負の影響・経験についての報告・告発はない」という回答であった。「ハーム・リダクション」は比較的新しい概念であり、警察や経営者の対応など、報告からは実態についてわからない部分が多く、演者の楽観的回答が逆にこの政策の「危うさ」を印象づけた。

今回の会議では、前出のタイにおける「100%コンドーム使用政策」に関して、米国とタイの研究者チームが実施した追跡調査も報告された。バンコクで働くセックスワーカーを対象とした量的調査(N=205)によれば、回答者の86%が「お金のためならコンドームを使わないセックスをする」としている。HIV感染予防の基礎知識が相変わらず低いという実態を含め、以前からセックスワーカーNGOが指摘してきた「押しつけられた政策はセックスワーカー当事者の意識や行動を変えることにはつながりにくい」という問題を追認する結果が報告された。同会議に出席していたセックスワーカーNGO関係者によれば、セックスワーカーには性感染症/HIV抗体検査が義務づけられているが、その大義名分であるはずの「適切な医療サービスにつなげる」という点について、タイではクリニックが閉鎖されるなど、安定したサービスが提供されていないという。会議参加者とのやり取りは文献では知りえない情報を入手できるところに大きな利点があるが、「100%コンドーム使用政策」については具体的取り組みにおける人権的配慮を含めた実態の詳細が明らかにならなかったという意味において、不満が残った。

 

■男性顧客へのアプローチ
日本のエイズ政策における「個別施策層」としてのセックスワークに係る人々には顧客が含まれるが、現場への介入は売春防止法、風俗営業法など法律上の問題も絡んで現実には非常に困難であり、具体的な介入手がほとんどなされていないのが現状である。今回の会議では、ILO主催でサテライト・シンポジウム「職場での介入を通じた顧客へのアウトリーチ」(Reaching clients of sex workers through workplace interventions)が開催され、その内容に注目した。チェアを務めたILOインドネシア支部長Alan Boultonは、開会挨拶において次のように述べた。「一般に就職といえば、最初に被雇用者としての権利が知らされ、安全に職務を遂行するためのレクチャーや訓練などを受けるものだと思うが、セックスワーカーにはそれがない。また一方で、アジア太平洋地域の労働者の多くがセックスワークを利用していることが知られていながら、彼らに対する具体的な介入もほとんどなされていない。」

シンポジウムでは、中国とインドからの報告として、職業別にみた男性労働者のセックスワーク利用率の高さと、その背景的要因(社会的・文化的要因)に多くの時間を割いて説明された。セックスワークを利用する際のコンドーム使用率の低さを改善するためには、IEC(情報・教育・コミュニケーション)を通じた予防啓発が重要であること、そのための具体的手段として各種業界のキーパーソンを巻き込むことが重要であるとして、労働組合などを通じた職場での健康教育の展開事例が紹介された。内容に感想としては「男性顧客へのアウトリーチ」というよりは「一般男性労働者へのアウトリーチ」と呼ぶべきもので、セックスワークに特化した(セックスワーカーとの協働の成果がみられるような)目新しい手法も紹介されなかった。やや期待外れ感も否めないのだが、顧客がセックスワークを利用する背景を踏まえ、各種業界の特徴(固有の文化)を把握した上で介入手法を開発・展開していく姿勢が重要であることが再確認でき、またILOがこれをバックアップしている事実が国際会議で紹介されることの意義は少なくないと感じた。

セックスワークとHIV/AIDSについては、予防啓発教育、性感染症/HIV抗体検査、コンドーム使用の義務付けなど、一方的にセックスワーカーが介入を受ける側に立たされることが多く、当然のことながらそれについて当事者からの反発もある。前出のILOインドネシア支部長Alan Boultonは、「こうした問題を解消していくためにも、現場を一番よく知るセックスワーカーに教えてもらうべきことは多い」と述べ、会場参加者から拍手がおくられた。


■コミュニティ主導型アプローチ

コミュニティ参加型アプローチはもはやエイズ対策の基本といえるが、「参加」よりもさらに主体的な関わり方を求めて「コミュニティ主導」という文言を耳にする機会も多い。セックスワークに関しても、UNAIDS主催のサテライト・シンポジウム「エンパワメントをホンモノにしていくためのコミュニティ主導型アプローチ」(Making Empowerment Real: Using community-led approaches to strengthen evidence base on interventions for female, male and transgender sex workers)、あるいは演題発表「参加者ではなくパートナーとして」(Partners not Participants : Experiences of meaningful involvement of Sex Workers in an HIV program)などの演題にそれを確認することができる。「コミュニティ主導型」の実践を可能にするのは、いうまでもなくコミュニティの存在であり、諸外国のその規模には圧倒されるものがある。たとえば、インドではNGO主催のセックスワーカーを対象とするイベントに1万人以上が参集するといい、その他の地域でもNGOが直接・間接的につながっているセックスワーカーは何百・何千という数になるという話を聞いた。

インドのNGOが開催したワークショップでは、ある区画内に働くセックスワーカーのほぼ全数を単に数字としてだけではなく、個人として特定できる形で把握し、その後のアウトリーチを展開するための手法が紹介された。このNGOではインタビューを通じて把握されたセックスワーカー同士の関係性に基づいて複数のピア・グループ(小ネットワーク)を形成しており、より多くのピアとより親密につながっているセックスワーカーを協力者として養成することにより、きめ細やかなモニタリングと問題の早期発見・早期介入につなげているという。このNGOの取り組み以外でも、セックスワーカーを介入ワーカーとして養成するプログラムが紹介され、そのメリットとして現場で発見された問題がより迅速に必要なサービスにつながることができるほか、(医療・その他専門機関を含めた)地域社会全体への教育的・啓発的な波及効果も期待できることが報告された。「コミュニティの不在」が指摘される日本では、そもそも「セックスワーカー・アイデンティティ」のありようがこうした諸外国とは大きく異なることが指摘される。多くの示唆に富む実践例を直接輸入することは現実的ではないが、日本には日本の現状を踏まえたコミュニティ開発のありようがあるだろうし、効果的な介入手法を模索していく必要がある。

日本を含め、多くの地域でセックスワークに係る人々は(従事者であれ顧客であれ)社会的・法的制裁という現実的な問題に直面しており、今回、会議全体を通して繰り返し強調されていたのは「人権的アプローチ」の重要性である。「わからないことは現場に聞け」という基本姿勢とともに、効果的な政策・プログラムの基本として当事者との信頼に基づく協働関係の構築に尽力しなければならない。そういう意味でも、セックスワークとエイズ対策に関しては「成功例から学ぶこと」よりも「失敗例からの教訓」のほうが多く、また重要であるというということを考えさせられた会議であった。
最後に、今回の会議出席の機会を与えてくださった財団法人エイズ予防財団に感謝いたします。