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第9回アジア太平洋地域国際エイズ会議参加報告書
 

お茶の水女子大学大学院人間文化創成科学研究科ジェンダー学際研究専攻
熊田 陽子

1. 報告者が関わっている分野(性労働)を中心とした研究発表について
報告者は、大学院博士課程で、日本における女性の性労働をテーマに研究を行っているので、初めに、女性性労働者を扱った発表についての報告をする。本会議では、一つのシンポジウムを含め、女性による性労働とHIV/AIDSをテーマにした口頭発表が複数行われたが、同じ時間に性労働に関する発表が行われることもあり、全ての発表を聞くことができなかったのが残念であった。

1-1 性労働とHIV/AIDSに関するシンポジウムの要旨
シンポジウムでは、女性性労働者の感染予防とリプロダクティブ・ヘルスの確保の両立という視点から議論が行われた。冒頭では、これまで女性性労働者については、「『いかにコンドームを使って感染を防ぐか』という問題が中心的に扱われてきたため、リプロダクティブ・ヘルスについての検討が欠如していた」という主旨の指摘が行われた。そして今後は、”dual protection” (二重の予防)、すなわち、HIVを含む性感染症を予防すると同時に望まない妊娠を防ぐための対策も、感染予防のプログラムに組み入れるべきだという主張がなされた。具体的には、コンドームに加えて、ピル錠剤を中心とした付加的な避妊用具の使用を性労働者に対して推進していくということになる。また、現実に有効なプログラムを実施するためには、現場において性労働者が求めるニーズ(e.g. スクリーニング・サービスにおける待ち時間の短縮)を把握する必要があるという理由から、プログラム作りの過程に性労働者を巻き込み、その意見を反映させるべきだという主張もなされた。更に、たとえ性労働者に向けたプログラムであっても、性労働者だけでなく客をもターゲットに含めない限り、その有効性は疑わしいという意見も出された。

1-2 その他口頭発表の要旨
1-2-1 女性性労働者に向けた新しい感染予防プログラムの紹介(カンボジア)
女性性労働者を対象としたプログラム――”SMARTgirl”――は、単に感染率低下を狙うだけではなく、女性性労働者が興味を持ち、積極的に受容したくなるようなものを目指して作られたという。SMARTgirlは、女性性労働者による自己認識を、従来の「悪い子」から「格好よく賢い子」へと変化させることを大きな目標に掲げる。こうした、新しい肯定的なアイデンティティの確立は、性労働者が仕事における性行為に対して抱く意識だけでなく、彼女たちのライフスタイルそのものに包括的に働きかけることになるからだ。その結果、とりわけ感染率が高いとされる、性労働を離れた場における性行為(その多くはパートナーとの性行為を指す)においても、彼女たちが「賢く=スマートに」感染を予防することができるようになるという主張がなされた。

1-2-2 性労働従事に至る背景に関する社会的・経済的経路pathwaysについて(インド)
性労働を行う人々は様々な背景と理由を持っており、それらを詳細に把握することが、それぞれのパターン(経路=pathway)に当てはまる人々に対する、有効な感染予防プログラム作りにつながると主張された。この、性労働従事に至るまでの諸パターンは、具体的に、以下のように分けられていた――(1)貧困を脱するため、あるいは不安定な収入を安定させるという理由から行うパターン、(2)ドラッグや酒の購入に向けた資金確保をするために行うパターン、(3)夫や家族によって強制されて行うパターン、④自分の楽しみとして行うパターン。そうした分類を確立したうえで、以上の各パターンに分類された性労働者は、それぞれに異なる感染経路を持つ傾向にあるという分析結果が導き出された。そのため、いかなるプログラムも、「性労働者」を一つのくくりにまとめるのではなく、性労働に至るまでの背景や理由を解明し、それに応じたプログラムを個別に計画するのが有効だという主張がなされた。

1-2-3 既存の予防プログラムの修正とその背景(インドネシア)
女性性労働者に対する既存の感染予防プログラム――”KPF (Kerti Praja Foundation)”――を事例に、既存のプログラムをいかに修正し、より有効なものへと変えるかという点を中心に議論が展開された。具体的には、様々な地域に分散し、かつ異なる時間帯に仕事を行う性労働者に対して、どのようにアクセスしていくかという問題が検討された。この問題に対しては、女性性労働者をピア・エデュケーターとして育成するという対策が講じられた例が報告された。しかし、現役の性労働者をピア・エデュケーターとすることについては、長所と同時に短所もあるという意見が提出された。そして、そうした意見((1)常勤のスタッフの負担は軽減されるものの、同じ立場にある性労働者によって「教えられる」ことに対して性労働者が抵抗を覚える、(2)ピア・エデュケーターを使った場合、事後のモニタリングが困難になる、(3)ピア・エデュケーターの提供する情報の正確さが疑わしい)は、今後の課題として認識された。

1-3  性労働に関する発表についての感想(シンポジウムについて)
シンポジウムでは、主に、「産まない」という観点から”dual protection”の問題が論じられており、その意義と重要性は十分に理解できた。しかし、一方で、「産む/産みたい」という観点からの議論も、更に深化させる必要があるのではないかという感想を持った。性労働の主なサービスが膣―ペニス性交である場合、ピルを中心とした”dual protection”は、望まない妊娠を防ぐと同時に、望む妊娠の機会を排除するというジレンマに陥らざるを得ない。性労働者が、性労働に従事しながらも、同時に、これからパートナーとの間に子どもを設けたいと希望するような場合を想定し、彼女と彼女を取り巻く人々を射程に入れた検討が求められるのではないだろうか。

2 その他参考となった研究発表について
2-1 MSMをめぐる議論
MSM(Men who have Sex with Men)を扱う口頭発表では、これまで予防プログラムで使用されてきた、欧米において作り出されたことば(“MSM”をはじめ、“gender”、“homosexual”、“bisexualなど)を、各地のローカルな文脈に援用する際の問題や課題が指摘された。たとえば、ミャンマーでは、上記に完全に合致する概念が存在しない。ローカルに使われる概念は、欧米の定義とは重なりながらもズレを見せる場合が多いからである。更に、ローカルな概念も、同じ国の中でも地域によって異なる意味を付与されていることがある。こうした問題意識のもと、ローカルな文脈に合わせてプログラムを導入する必要性が指摘されていた。

また、口頭発表を終えたTom Boellstorff教授とは、MSM概念についての問題を議論する機会を得た。Boellstorff教授によれば、MSMとは、もともと、人々の行動behaviourについて論じるために生みだされた概念である。だが、それが浸透した現在は、アイデンティティの概念として定着しているため、たとえば「MSM コミュニティ」といったように使われているという現実がある。この現象は、人間が、行動とアイデンティティを完全に分けることができないという事実を示していると教授はいう。更に、MSMの“S=セックス”も、その内実が何を指しているのかはきわめて曖昧であり、ブラックボックス化している。地域によって、あるいは個人によって、オーラルセックスや女性同士の性行為を「セックス」と認識しないこともあるからだ。

2-2 MSMに関する議論を受けての感想
報告者が2-1で述べたのは、MSMという特定の概念をめぐる議論であったが、そこで提起された問題は、HIV/AIDSに関する他のプログラムにも当てはまる示唆を含んでいるように思う。つまり、「セックス・ワーカー」や「コミュニティ」といったことばについても、ある程度の定着を見せた現在こそ、再考の価値があるのではないだろうか。たとえば、HIV/AIDS対策プログラムで使われる諸概念は、本大会で指摘されることの多かった、「プログラム(のおおもと)を計画する側(=欧米)」と「プログラムを適用される側(=“ローカル”と称される欧米以外の地域)」という図式の中だけではなく、欧米の内部においても、完全な了解・合意はない。社会=文化人類学者のバレンタインは、アメリカ合衆国のニューヨーク近郊を中心とした調査に基づいて、人々が持つ”transgender”としてのアイデンティティ、あるいは“transgender community”の成員という認識は、表層的には合意を得ているように見えても、現実には他者による名づけや自らの名乗りにおいて齟齬があると主張したが、同様の指摘が、HIV/AIDS対策プログラムで使われる諸概念にも当てはまる可能性は十分にありうる。更に、性労働あるいは性労働者についていえば、”sex work”や”sex worker”の訳語として日本の研究において広く使われているが、その「セックス」が何を指すのかについての議論が十全に行われてきたとは言い難い。
【参照: VALENTINE, David 2007 Imaging Transgender?An Ethnography of a Category. Duke University Press.】

3 会議の成果を国内で還元する計画
報告者が本会議で得た成果は、以下の通り還元する。アカデミックな分野においては、所属大学(お茶の水女子大学)にて継続している「性労働研究会」、更に、複数の大学および研究機関に所属し、文化=社会人類学や社会学、教育学の立場から研究を行うメンバーで形成される、「HIV/AIDS研究会」にて報告を行う。また、アカデミックを越えた分野については、東京都調布市を拠点に活動を行う市民団体「じんだいNET」にて勉強会を開催し、幅広い年齢層や立場の人々を募って議論を行う。また、本会議で提起された様々な問題点は、報告者が今後に執筆していく論文や口頭発表の中でも、随時言及していく。

4 追記
 発表者にとって、今回は二度目の参加となったが、様々な地域・立場からの人々が集まり、自由に議論を展開することから生まれる活発さは、本会議が持ち続ける大きな魅力であると感じた。また、厳重な警備による若干の緊張はあったものの、会議中は晴天に恵まれ、開放的な雰囲気の中で会議は和やかに進行していった。
この度、様々なテーマの研究発表で展開された議論や批判は、自分がこれまで行ってきた研究ばかりか、これから行う研究に対しても重要な示唆を含んでおり、大変に貴重なものばかりであった。本会議に参加するという得難い機会を持てたことに、心から感謝したい。また、出発前と出発後にお世話になった財団法人エイズ予防財団及び御担当者の皆様、本当に、ありがとうございました。