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第10回アジア太平洋地域エイズ国際会議参加報告書
 

群馬大学大学院医学系研究科
社会環境医療学
医学哲学・倫理学分野
助教 宮城 昌子

はじめに
韓国第二の都市、釜山を訪れるのは初めてであったが、路地沿いの家々が次々と高層ビルにとってかわっていく首都ソウルのめまぐるしさと異なり、立ち並ぶ古い食堂から漂うスープのにおいや海沿いの街特有の活気とおおらかさに親しみを覚えた。それにしても、釜山の街のどこを見渡してもICAAP開催を知らせるものが見当たらない。訝しく思いながら会場であるBEXCOの正面玄関に到着、そこではじめて控え目な大きさのレッドリボンを目にすることができた。韓国においてはひっそりと行わざるをえない会議――それが現地で抱いた第一印象であった。会期中、宿泊していた中級ホテルのフロントに積まれた新聞の記事のなかにICAAPの文字を見つけることはできなかった。

この会議の参加目的は、厚労科研研究班の研究成果「地方における予防情報提供の望ましい在り方―地方保健所調査より」ならびに「対象限定型資材から包括的資材へ」のポスター発表を行うことであり、また、関連するテーマについて情報収集することであった。しかし実際にふたを開けてみれば地方での予防情報提供の在り方を主題化した発表は、口頭発表・ポスター発表ともにごくわずかで、しかもその数少ない発表も演者欠席でキャンセルとなったものもあった。そこで、ウィーンでの国際会議(2011)以降よくきかれることになったKey Affected Populationsというフレーズで括られる人々の状況に焦点をあてたセッションに可能なかぎり出席することとした。以下、各セッションのなかで印象に残った発表について報告するとともに、最後に隣国であり本会議の開催地である韓国の状況について簡単にまとめておきたい。

1.Key Affected Populations
時間やセッションの重なりの都合などにより、今回はKey Affected PopulationsのなかでもとくにMSM、トランスジェンダー、ドラッグ・ユーザーについてのセッションに参加した。

(1)MSM
MSMをめぐる研究に関しては、コミュニティベースの予防介入プロジェクトの実施と有効性を報告するものや、MSMの性行動に関する調査結果の発表などが多くを占め、本邦の状況と大きく異なる点はさほど見受けられなかった。逆にいえばアジア太平洋地域のMSMをとりまく状況がだいぶ同じ方向に進展してきつつあるということなのだろう。たとえば、本邦と同様に、インターネットの普及によりMSMを取り巻く環境の変化がもたらされていることを示す発表がいくつかあった。
ひとつは、台湾におけるMSMのインターネット利用についてのNai-Ying Koによる調査である。昨年度行われたインターネット調査によれば、回答者1,645人のうち72%がセックスパートナーを見つける手段としてインターネットを利用している。ただしインターネットを利用して相手を探す傾向にあることとハイリスクな性行動をとることとの因果関係は証明されなかったとしている。
Chan KSWらは、香港で若年者(15歳-24歳)とそれ以上の年齢に分けて同様の調査を実施しており、インターネットでセックスの相手を見つける率は若年者のほうが8割と高く、さらにハイリスク行動をとる割合も高くHIV検査受検率も低いことから、若年者へのインターネットを通じた予防啓発の拡大が課題であるとしていた。ただし本邦の状況と異なり、貧困層のあいだではインターネット環境が充分整っていないため、その環境整備を行う必要があるといわれている点である。

ほかに、Caroline Van Gemertらによる報告が本邦の状況と異なるものとして興味深かった。ラオスの首都ヴィエンチャンのMSMのあいだでのHIV感染率が高く、彼らのなかには女性ともセックスを行う機会を持つバイセクシュアルも少なからず含まれることを背景として、彼らが感染の「ハイリスク」群と「ローリスク」群をつなぐ橋の役割をしているという仮説のもとに、Burnet Instituteがオーストラリア政府から公的研究費援助をうけて2010年夏に実施した調査である。
まずは調査前1年間に女性・男性両方とセックスをする機会をもったことがあるヴィエンチャンのバイセクシュアル10名を「種」として選び、性的関係をもったことのある人をひとり5人ずつ挙げてもらう(第一波)。さらにその人々に接触し聞き取りを行い、同様に5名ずつ挙げてもらう(第二波)。これをもう一度繰り返し、計309名からなる性的ネットワークの図を描き出している。
このうち298名(女性84名、男性189名、トランスジェンダー25名)のデータを解析した結果、男性189名のうち63名が女性・男性の両性とセックスした経験があり、女性84名のうち、ヘテロセクシュアルの男性から挙げられた数よりバイセクシュアルの男性から挙げられた女性の数のほうが多かったという。
この調査により、ヘテロセクシュアルとホモセクシュアル、バイセクシュアルの人々の間での性的ネットワークの存在が証明され、仮説通りバイセクシュアルの人がその架け橋となっていることが示された。さらに、彼女らの行った別の質的調査において、バイセクシュアルの人々が必ずしも自身をバイセクシュアルとして自認していないうえに、セックスの相手を選ぶ際には、経済的状況や文化的規範、職業上の理由などセクシュアリティ以外の要因も絡んでいることが示された。
このことから、従来のゲイ・コミュニティに絞り込んだ対策だけでは十分な効果は得られない可能性が高く、広く一般人口に向けて予防情報を発信する必要があると結論づけた。彼女らが調査した結果や結論については理解可能であり納得できる。広く一般に情報提供を行う必要性については筆者が分担研究者を務めた厚生科研エイズ対策研究事業「HIV感染予防個別施策層における予防情報アクセスに関する研究(H20-エイズ-一般-009)」での研究結果と合致するからである。
この研究班では、介入困難群(Hard to Reach層)とされる人々に対する効果的かつ倫理学的に妥当な予防情報発信のあり方が大きなテーマであった。
地方のMSMや陽性者にとって既存の予防情報はどのように受け止められてきたのか(ライフストーリー調査)、地方での予防情報発信の現状はどのようなものか(保健所質問紙調査)、地方の陽性者はどのような予防情報に接しどのような情報を求めているのか(NGOではなく拠点病院を介した地方陽性者質問紙調査)を三本柱として調査した結果、これまで都市部で多く実施されてきた個別施策層別の対象限定型の予防情報発信の形態は、社会文化的背景の異なる地方においては適用可能ではないことが示され、地方の予防啓発を担う保健所の機能特性や保守的な風土の状況を考慮したうえで、セクシュアリティや性別・年代を限定しない包括的な予防情報提供が効果的である可能性が示された。このことはGemertらの導いた結論と重なるものである。

しかしここで、Gemertらの研究を倫理学的観点から眺めた場合、方法が適切であったかどうかはいささか疑問である。
相手にも聞き取り調査が及ぶことがわかっていながらセックスの相手を5人挙げるということは、なかなか容易に同意できるものではあるまい。研究協力者の同意を得ているというが、それがどのようにして得られたのか、謝礼を支払っているとすればそれはどの程度の額なのか、いずれにしても詳細についての言及はなく、さらには、協力者の選出についても、同団体が過去に行った研究の協力者のなかから選んだということが示されているだけで、どのような基準と手続きで抽出し協力を依頼したのかについても明らかでない。そもそも、この研究において、そのようなある意味侵襲的な調査を実施することの正当性と信頼性がどれだけ担保されているのか検討が必要だろう。

(2)トランスジェンダー
先日オーストラリアでパスポートの性別記載として男・女のほかにX(不確定)という記載の導入が検討されているという情報が入ってきた。
トランスジェンダーに対する理解が徐々に進んできつつあることの証左だろう。トランスジェンダーを主題としたセッションが用意されるのはICAAP史上これが初めてである。その冒頭で座長がなにより強調したのは、トランスジェンダーはMSMではない、という一点であった。
従来、HIV/AIDSの社会疫学領域ではトランスジェンダーはMSMのなかに含められてきた。しかし近年では、疫学的にMSMとは異なる側面に焦点があてられるようになり、トランスジェンダー独自のセクシュアルヘルスの問題が注目されつつある。
「MSM」が本来疫学的用語として性自認の如何に拘わらず保健行動面から規定された概念であるがゆえに、トランスジェンダーの人々のアイデンティティにそぐわない面があるのは確かである。演者は一見したところ全員MtF (Male to Female:生物学的性は男性で性自認が女性)でFtM(Male to Female:生物学的性が女性で性自認が男性)の立場からの報告は無いようだった。

TG is not MSM !! という威勢の良さで開始した本セッションは、トランスジェンダーの人々による仲間内での情報共有とエンパワメントの会という印象で、HIV/AIDSに直接かかわる問題に焦点は置かれていなかった。タイ、ネパール、パプアニューギニア、香港から発表者がそれぞれの自国におけるトランスジェンダーの置かれた状況について報告した。タイでは、ホルモン注射が安価かつ容易に行える。Prempreeda Pramoj Na Ayutthayaによれば、タイでは薬局で化粧品を買うのと同じ感覚で女性ホルモン注射剤のアンプルを購入することができる。それを薬局から徒歩数分圏内にあるクリニックに持参して注射をしてもらう。
ホルモン剤が1アンプル4USD程度、注射代が2USD弱だという。注射を請け負う多くのクリニックは専門のではなく一般のクリニックであるが1日で50人ほどがホルモン注射のために来院する。他患と同じ待合室で待つことになるが、ことさら好奇の視線にさらされることもなく普通に受入れられるうえ、現状では注射にあたって医療者からのカウンセリングを受けたりセクシュアリティについての質問をされることはない。
タイは世界のトランスジェンダーにとって憧れの国といわれる所以であるが、演者はこの容易さの弊害も指摘する。タイのFtMの多くが中学生の頃にホルモン注射を開始する。大学入学前までに女性らしい見た目を手に入れておきたいというのが共通の望みであるらしい。
低年齢から女性ホルモン補充を開始することの健康への影響もさることながら、自身のセクシュアリティについて充分に検討したり相談したりする機会を得ないままに身体だけ女性化が進んでいくことは望ましいありかたではないのではないか。では翻っていつからホルモン注射を開始するのがよいのか。こうした演者の問題提起はとても重要に思われた。
ホルモン注射の容易さや実質的な手法への興味からの発言のほかに、フロアから親や教育の役割の重要性について指摘する声があがったことは特記すべきことと考える。家族と社会の二本柱で支援がなされるべきであり、トランスジェンダーの子どもを持つ親らによる組織を設立し、政府とともに支援体制の充実を図っていくのがよいとの意見が聞かれた。

一方、ネパールのトランスジェンダーの状況はタイとは異なる。
Manisha Suben Dhakalによれば、ネパールではホルモン注射剤は入手困難であり、処方箋なしで手に入るピルを服用している。しかし、トランスジェンダーに対する社会的理解と支援は全般的に不足しており、抑うつ的になったり、偏見や差別から職に就けず困窮の末にセックスワークをせざるを得なくなる人も多いことが紹介された。ホルモン剤にお金をかけていると思われがちだが、収入の多くは基本的な生活費に消えていく。そこで、コンドームの普及だけではない幅広い支援が必要だとDhakalらは主張する。

(3)ドラッグ・ユーザー(IDU)
ハーム・リダクションをテーマにしたセッションで、インドネシアとカンボジアからの報告をきいた。カンボジアでは、2000年から2004年にかけて急激にIDUが増加したそうである(0.6%→10%)。2008年の時点で違法DUは最大で50万人と推定され、NCHADS(The National Centre for HIV/AIDS Dermatology and STDs,カンボジア)の調べ(2007)では、更生中とコミュニティのIDUとをあわせると、HIV感染率は24.4%と一般の感染率1.1%に対して非常に高い。
他国にもれず、ハーム・リダクションも含めドラッグの対策は当局にとって「やっかいな問題」としてとらえられており、ハーム・リダクションについての知識普及もまだまだであるとの認識であった。
Leang Supheapらは、警察や地域の担当者を対象にハーム・リダクションの普及・教育を継続して実施しており、このたび薬物管理とHIV/AIDSの領域で政策レベルから実働レベルにわたる関係者21人に対してインタビュー調査を実施した結果を報告した。
それによると、法執行部門や地方自治体、コミュニティレベルの理解はまだ不足しており、薬物使用を促進する禍々しいものだと考えている警察関係者の声が紹介されていた。また、国内のドラッグ・ユーザーの数は幸運なことにまだ少ないという認識が衛生局員の一部にある一方、HIV対策行政の担当者のひとりはこの問題を「時限爆弾」にたとえ、HIV/AIDS感染者増の第二波を確実に呼ぶものとして捉えていることも紹介された。
しかし、ハーム・リダクションをとりまく状況は、施策・法的側面や実践的側面においても、徐々に環境整備されてきつつあるのは確かであるようだ。目下問題になっているのは、教育プログラムを受けた個々の警察官の理解をいかに上層部にまで広げ、実際に施策として普及させるかということのようだった。

さらにインドネシアの現状について報告があった。
インドネシアでは、推定105,784名のドラッグ・ユーザーがいるとされ、2005年から9つの州でMMT(methadone maintenance treatment;メサドン維持療法)が導入され、州立病院の監督とNGOの介在のもと各病院と地域の保健所が実施している。
Riki Febrianらは、ジャワとバリの54保健所、 4病院、15 NGOsでMMTを受けたドラッグ・ユーザーのうち2010年に1027人、2011年に1456人に対して質問紙調査を実施した。その結果、MMT開始後2か月で約半数の人がドラッグ使用を止めており、さらにその割合は1年経たずに25%まで下がり、MMT開始後4年で17%、4年以降で12%にまで減っていることが示された。
MMTを受けながらもドラッグ使用を継続する人の4分の一が、メサドンの低用量をその理由に挙げていた。なかでもバンテン州ではその割合が半数と多く、次いでジャカルタで3割、少ないところではバリで1割と、州によって偏りがあることが示された。発表者によれば、ガイドラインの影響で低用量で処方するケースが増えているという。
濃度の調整の仕方にスタンダードはあるものの、実施機関ではとまどいも多くガイドラインに従わない場合もあるとのことだった。そのスタンダードがどのように決められているのか、詳細に言及は無かったが、統一したトレーニングの必要性がフロアから指摘された。また、HIV感染者でMMTを受けている人とそうでない人で、抗レトロウィルス療法の継続の割合が示されていたが、MMTを受けている人は抗レトロウィルス療法開始後800日間にわたってART中断者は0%であるのに対し、MMTを受けていない人では100日目あたりから徐々にドロップアウトする人がでて、700日では8%が中断する結果となった。また、MMTを中断する人もおり、その理由は、退屈になった(21%)、引っ越した(12%)、逮捕された(8%)などであった。
この調査でMMTサービスに不満であると答えたのはわずか2%であり、総じて評判のよいプログラムであるが、さらにサービス提供側のトレーニングを充実させ、MMT継続者の割合を増やすことが今後の課題であるとされた。

インドネシアからもう1題、印象的な発表があった。
17歳から55歳までのドラッグ・ユーザー、210名を対象にした調査の結果、本来オピオイド置換療法のひとつとして処方されるブプレノルフィンの舌下投与剤が、ドラッグ・ユーザーのあいだで注射薬として一般的に使用されているということを示すものだった。
85%がブプレノルフィンを注射摂取した経験があり、56%がよく使用すると答えた。初めてドラッグとして使用した薬剤がブプレノルフィンであったという人も30%を超えていた。このことから、オピオイド置換療法の管理・監督の徹底と適切使用の教育、ならびに薬剤提供違法ルートの取締の強化が重要であることが主張された。
ここまではなるほどと思って聞いていたのだが、最後に発表者が上映したビデオがフロアの議論を呼ぶこととなった。「現場でなにが起こっているのか」というようなタイトルで、屋外でドラッグ・ユーザーたちが実際にドラッグを使用している様子が録画されており生なましい映像である。仲間同士で注射しあい何度か失敗して射し口から血液が流れてもそのまま放っておいていたことに対し、ハーム・リダクションの名の下で針や注射器を無料で提供しても、まずは血液がHIV感染源のひとつであり、適切な処理をするよう正しい教育が前提となっていなければ無意味なのではないか、というものだった。
ここに登場していた人がMMTを受けている人なのかどうかも明らかでなかったが、フロアの空気のこわばりの原因は、その映像の描いた内容に対する衝撃ではなく、ただセンセーショナルなだけの映像を流すことに対する不快感であったと感じたのは筆者だけであろうか。発表者は先の指摘に対し、にこやかに楽観的に、その通りである、と答えた。
インドネシアに限らず、ハーム・リダクションの普及のなかで、針や注射器、MMTサービスの提供などの外的環境を整備することだけに眼差しが向けられ、HIV予防を含めた教育やカウンセリングというような、目に見えにくいけれどももっとも基本的で着実な取り組みがいささか後手に回っているというような事態がもしもあるとしたら、それは本末転倒であると考えるきっかけをフロアに与えたものとして印象的な発表であった。

4.韓国国内におけるHIV/AIDSの周辺
(1)差別・偏見
2007年に韓国疾病管理・予防センターによって行われた調査で、死亡したHIV陽性者の約3割が自殺であることから、韓国において差別・偏見の問題がかなり深刻であることは想像していたが、今回の会議の韓国セッションにおいて各発表者の主張の力点は、やはりそこにあった。韓国国内で初のAIDS患者報告から28年。韓国の陽性者をとりまく社会的状況にほとんど進歩はみられていないと指摘された。無知に煽られる恐怖感や伝統的な価値観に基づく偏見と差別的まなざしがなお根強く、不当解雇や診療拒否にあっても沈黙せざるを得ない状況にある。
それにもかかわらず陽性者の人権擁護に動かない(たとえば就労ビザ申請時のHIV強制検査の全面廃止を行わないことなど)政府の対応に対しての苛立ちや怒りは、韓国からの発表の多くに通底していた。座長のSukjoo Kangによれば、2006年までは公に陽性者の人権について言及すること自体が難しい状況であったそうである。現在状況は変わりつつあるがそれにしても陽性者支援に関わる人の数はこの間ほとんど増加していないという。2007年に韓国国内の一般人約500人を対象にしたアンケート調査の結果がHanki Yoonによって紹介された。
回答者の半数弱が「蚊はHIV感染を媒介する」「HIV感染者とは一緒に住みたくない」と答えており、さらには「パートナーや友人がHIV感染者だと判明したら、以降は関係を保ちたくない」と答えた人が60%であったという。
かつてのこの国と同様、HIV感染者は不特定多数の性的パートナーがいるというメディアによるレッテル貼りも手伝い、陽性者に向けられる家族や友人の視線は冷たいのが現実であるようだ。なかには家を出ざるを得なかったり職に就けないなど社会的隔離状態におかれ、低収入も問題となっていると報告された。

(2)陽性者支援体制
初期の頃より陽性者支援に関わってきたMyungeun Kohは、誹謗中傷や支援活動の妨害を恐れて素顔をさらさず仮面をつけて壇上にあがった。パフォーマンスのひとつという見方もできたかもしれないが、そうではないことを他の発表が裏付けていた。1995年にカトリック司祭と信者による韓国カトリックHIV/AIDS組織委員会が設立された。さらに1997年に、ある若い男性のニーズを叶えるかたちで小さな部屋が用意され、これが韓国において最初の陽性者シェルター(The Little Light Community)となった。
設立資金はCardinal Stephen Kim(RIP)が全面的に支援したという。先の韓国カトリックHIV/AIDS組織委員会はきょうび韓国カトリック赤十字と呼ばれ、シェルターとデイホーム、グループホームを三つずつ運営している。ただ、国内の状況をみればこれらの支援施設の運営だけでは間に合わず、とくにHIV感染と診断されたこと自体や近しい人との絶縁の経験がトラウマとなり、アルコール依存症やうつなどを発症するケースに対する心理的・精神的負担に対するケアの体制を整えることが必要であると主張した。
そのためには、政府主導の積極的な支援が欠かせないことが強調された。Kwangseo Parkからも1999年に設立された支援施設LOVE4ONEが紹介された。

(3)セックスワークの周辺
韓国のセックスワーカーのセッション“Sex Worker and Advocacy; Human rights, Care and support for Sex Workers in Korea”では、2004年に性売買防止法が制定されたことによる影響が話題の中心となっていた。この法律は、性売買をした場合には1年以下の懲役、または300万ウォン(約30万円)の罰金、さらに売春を斡旋、強要する行為に対しては厳罰として10年以下の懲役または1億ウォン(約1千万円)以下の罰金を課すものである。
また、セックスワーカーは検挙とともに強制的にSTI検査をさせられる。また、他国でも同様の話がきかれるが、コンドームを持っていることでセックスワーカーとみなされ逮捕されることもあり、ガサ入れの際に慌てて使用済みのものを飲み込むこともあるという。
Sookyi Okimによれば、それまでは事実上半ば黙認されていた男性顧客や斡旋仲介業者に対する取締りが2004年以降強化されることになった。検挙者数は、2004年に男性検挙者1,513人、女性検挙者962人であったのに対して、2009年は男性検挙者53,995人、女性検挙者11,626人であり、男性検挙者が急増している。
Jeongmi Parkは、日帝強占期以降ずっと韓国における性売買に対する管理体制の特徴を「黙認-規制体制(Toleration-Regulation Regime)」であると説明した。つまり、2004年までは法的な規制ではなく行政による取締・指導が断続的かつ恣意的に行われてきただけで、事実上は半ば容認されてきた。そこには性産業の登録制や強制的STI検査を実行するための管理の手段として規制が働いてきたという。
しかし2004年の法制定以降、この「黙認-規制体制」は変化を受け、結果的にセックスワーカーは禁止と黙認の二重の管理下に置かれているという。さらに別の側面もある。Jeongmiは、2004年を境に国内での全STI検査件数が減少傾向にあり、2009年には2004年の半数以下になっていること、女性の受検率も2割以上低下していることを示し、その理由をセックスワークの嫌疑をかけられることを恐れた結果である可能性を指摘した。こうした現状を踏まえて、セックスワークの脱犯罪化と(強制ではなく)人権の尊重に基づいた自発的STI検査の実施を盛り込む新たな体制整備の要請を主張していた。

黙認と禁止のバランス-2004年以降もなぜ「容認-規制体制」が消え去らないのか。発表者の誰もがそのような事情の詳細について言及していなかったことがなにより事態の複雑さを表しているように思えた。国内での寛容と禁止のバランスに行政と司法がどのように関わっているのか、興味をひかれた。

開会式直前に韓国からの参加者によって、FTAによる特許強化への反対の意や、陽性者やKey Affected Populationsに対する差別的・懲罰的な法律の改正、そして対策資金の拡大要請についての声明が出された。本会議開催の準備段階での開催資金援助をめぐる政府の翻意を考えると楽観視はできないが、韓国でHIV/AIDSに関わる人々が沈黙を破る機会だったという点においてこの国際会議が韓国で開催されたことの意味は大きいと期待する。事実、韓国での会議開催決定以降、芸術興業ビザ(E-6ビザ)や非専門就業ビザ(E-2ビザ)の申請に必須とされてきたHIV検査の廃止が決定されるなど、入国管理制度に変化がみられている。今後の韓国の状況に注目していきたい。

おわりに
 このたびのICAAP10では、FTA問題をめぐってのアクティビストらの抗議主張の声が会期中いたるところであがっていた。なかには、彼らが列をなして声を上げながらセッション会場に乗り込み、一時セッションを中断させるという一場面もあった。研究者だけではなくさまざまな立場の人々が集まり意見交換や立場表明の場として伝統をつないできた、学会としてはとても特殊なICAAPだからこそ、アクティビストたちもできたことであろう。主催者側の対応としても“Diverse Voice”(本大会のスローガン)のひとつとしてかなり保護的なものであったように思う。そのような会議であるからこそ、開会式での十数分にわたる抗議やセッション会場外でのパフォーマンスで十分だったのであり、セッション中断にまで及ぶようなものにすべきではなかったのではないかとも感じた。各セッションでの各発表者の用意してきたものも“Diverse Voice”のひとつであったのだから。

Key Affected Populationsを中心に報告をまとめたが、そういえば、ついこのあいだまでVulnerable Groupと呼ばれていた人たちが、呼び名を変えて再度ステージにあがったという印象である。内実は変わらない、でも別の呼び名を着せて常に新しさを纏わせて、注意を引きつけておかねばならない、その危機感と策略とに、あらためてHIV/AIDSの問題の根深さと難しさをみるような思いでここまで書き上げた。

「HIV/AIDSの領域は、倫理問題のデパートみたいなものだ」。執筆者がまだ学生であったとき、医療倫理学担当の教授からこの言葉をきいた。ここでの「倫理問題」とは狭い意味での倫理学の問題ではなく、社会や政治の問題も含まれることをこのたびの会議の熱気によってあらためて教えられた。この会議で学ばせていただいたことを日々の研究に反映させるだけでなく、講義のなかで学生たちに伝えていくということも大切な役割であると考えている。教育の役割の重要性も、この会議の要所々々で光が当てられていたことであった。
末筆ながら、このたびこのような機会をお与えくださり、ご支援くださいましたエイズ予防財団のみなさまに心より感謝申し上げます。