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第14回国際エイズ会議参加報告書

第14回国際エイズ会議参加報告書 群馬大学医学部医学基礎講座 服部 健司

はじめに

一日のセッションのすべてが終わり、21時をまわって会場を背にして地下鉄スペイン広場駅に向かって歩き出すころにも、バルセロナの日差しはなお昼の名残りをとどめている。こうした風土にあっては、シエスタ(午睡)の習慣があるというのも頷ける。昼に一度仕切り直さなくては、地中海のあまりに長すぎる陽光に身がもたない。けれども会議のプログラムは過密である。予定通り定刻を過ぎて午前のセッションが終わり、昼休みになると、ホームページで事前にマークしておいたポスターを次々めざして、広いポスター会場を駈けまわる。午後のはじめのセッションが終わる16時頃には早々と撤去されていたりするから、昼食をとる間を惜しんでとにかく急いで見てまわらないとならない。それで昼御飯ぬきの日がいく日かあった。それでも、探し当てた場所の壁には淋しく番号札がピンでとめられているばかりで、ポスターの貼られた形跡すらないというケースが予想外に多く、がっかりさせられた。当てにしていたスカラシップがとれなかったといった理由からだろうか、と想像してみる。そういえばバルセロナの街で、これは安いと思えたのはスーパーマーケットに山積みされた、冷えていない缶ビールぐらいのものだった。

さて、今回の会議では、「自分のHIVステータスを知る義務と強制的検査」と題する医療倫理学上の発表を行ったほか、ワークショップでは「感染事実のパートナーへの告白をいかに援助するか」「資源に制約のある地域でのラピッド・テストの評価」に参加、オーラルセッションでは「VCT」「母子感染予防」「パートナーへの言知」「人権」「偏見・差別」といったテーマを中心に聴講した。以下、紙幅の関係から、HIV抗体検査のあり方をめぐる諸問題に限局して、興味深く思った報告のいくつかを拾いあげて所感とともにコラージュし、帰国後の一次報告にかえさせていただきたい。
        

検査と自発性

まず、VCT(Voluntary Counseling & Testing) のオーラル・セッションには他のテーマの倍の時間枠が用意されていたことに注目したい。これらのセッションで発表を行っていたのは主にアフリカ人とアフリカ在住のアメリカ人であった。そして何より感慨深く思われたのは、罹患率の高い彼の地にあってさえ、検査をあくまで徹底して受検者の自発性にもとづいて実施しようとする医療サービス提供者側の姿勢だった。VCTを大前提とした上で、どのようにエイズ対策を実効的なものにするかをめぐって真摯な取組みがなされている。ひるがえって、この国に目を転じてみたらどうだろうか。VCTの徹底は、間違いなく確実なかたちでなされているとはたしていえるだろうか。本邦ではとりわけ産科において受検者利益を理由に抗体検査のルーチン化ないしは義務化が推し進められようとしているが、国際的にはベクトルはそれとはまったくちがう方向を向いているのだということを知っておかなければならない。アフリカから日本が学ぶことはないという先入見があるとしたら、それは錯誤だ。VCTの徹底をはかりながら同時に感染予防・治療を進めるという基本の一事を、今、わたしたちはまさにアフリカから学ばなければならない。

 
妊婦に対する検査

とはいえ、アフリカでなんの困難も焦燥も感じられていないというわけではない。たとえば西ケニアの商都の総合病院産科外来では初診時の待ち時間が3時間半であるが、プレテスト・カウンセリングを受けるのは受診者の8割であり、そのうち8割が抗体検査を受けるのに同意し、さらにそのうち検査結果を聞く者が8割であって、結局HIVステータスを知るのは全受診者の半数にすぎない。発表者は「HIVステータスを知ろうとしない妊婦にAZTを」と結んでいた(van't Hoog)。一見するかぎりずいぶん手荒い話に思えなくもないが、プライバシー権の尊重と感染防止を両立させたい医療者の気持ちがにじみ出ていた。

ザンビアからの報告は、男性スタッフが出向いて妊婦検診に夫を同伴させるという試みだった。かの地では夫の許しがないと検査を受けない傾向にあるためで、現時点では絶対数は少数ながら、カップルで受診した場合に抗体検査受検(妊婦だけでなく夫も受ける)率は高いという(Shutes)。斜めから見れば、受検意思のないカップルはこうした受診行動をとらないわけで、データそのものに意味はない。けれども、ひとり妊婦だけでなく共にパートナーにも検査を求めるという取組みは興味深い。本邦でそうした論議が検討されないのはどうしたわけだろうか。パートナーのプライバシー権への配慮だろうか。であるとすれば同等の配慮が妊婦にむけられつづけてよいだろう。

先進国での実態を映し出していて興味深いものとして次のような文献学的研究があった。90年から10年間のあいだの欧米での5つの大規模多施設(産科)調査によると、妊婦検診での抗体検査においてインフォームド・コンセントの手続きが十分でないことがよくわかる。説明なしに検査をしている施設が29-34%、同意を得ずに検査をしている施設が24%、件についてカルテに未記載の施設は15-45%、という数字が並ぶ(Sherr)。さらには本人が検査を拒否しているのに(!)検査の行われた多数例についての報告もいくつかあり、それは検査を拒む者ほど抗体陽性の可能性が高いにちがいなかろうという推測を理由にして行われていたのだという。

いまだに(とりわけHIV+の)妊婦のもとに医療やサポートに関する十分な情報が届いていると言いがたい状況で、HIV+の妊婦や褥婦、母親が企画作成に参加した短い教育用ビデオが完成したという報告(Sowell)には、意義深いものを感じた。 
 

ラピッドテスト

いくつかの報告では、ラピッドテストを導入することで、受検したけれども結果を聞きに来ないといった人の数を減らすばかりでなく、受検者数そのものも増加させ、さらには検査ストリップそのものを当人に見せることで検査結果に対してより高い信頼を獲得することができた、という(Marum)。合州国からも同様の報告がある(Lansky)。さらにランスキーの調査によると、結果を聞きに来ない確率は、MSMで10%、異性愛者では19%、IDUの場合26%で、前者においてその理由として最も多くあげられていたのは「忙しかった/忘れた」であったのに対し、後二者では「当局に通報されるのが嫌だった」が最上位であった。こうしたデータに基づいて、この報告ではラピッドテストとともにプレテスト・カウンセリングの重要性が強調されていた。

強制検査

HIV+だけの理由で航空会社や軍隊、UNを辞任を命じられ、訴訟となったインドやカナダなどでの5つ判例を引きながら、単にHIV+というだけでは任務遂行に必要な心身能力の低下欠如は意味しないこと、抗体検査は雇用前に強制的に行われるべきでなく、医学的に必要と判断される時に限って実施されるべきこと、という報告があった(Stoltz)。

一方、南アフリカのカメロン判事は、ルーチン検査は理想であり、しかも達成可能な理想だと裏返してみせる。ただし差別や偏見を受けることなく、治療が保証されるのならば、という仮定法が含まれていることに注意しなければならない。今の社会にあっては、検査への同意は、包括的なものではなく特異的なものでなければならず、あいまいさのうちにではなく明示的に、カウンセリングのあとに得られるのでなければならない(Cameron)。

むすび

こうして書き綴っていると、まだ触れておきたいと思う報告や問題が頭の中にうかんでくる。とりわけパートナーに自分のHIVステータスを言い知らせる/ないという生き方をめぐって、それを倫理学的にどう評価したらいいのかという問いは、家族とは何かという大きな問題へと連なるものとして、筆者の現在の関心事のひとつである。バルセロナの会議でも比較的多くの報告がパートナーへの言知問題を取り上げていた。それらの走り書きのメモを読み返し、今秋の学会発表のなかに盛りこむ心積もりでいる。また今回発表した「自分のHIVステータスを知る義務と強制検査」の正当化への批判的考察については、会議で知り合えた仲間とメイルを通して議論がつづいており、いつか練り直して論文のかたちにまとめたいと念じている。筆者は現在、医学部や大学院、教養教育などで医学倫理学の授業を担当している。今回の会議で得た刺激や成果は、あるいは問いかけのかたちで、学生たちと分かち合いたいと思う。密室的な研究室から解き放たれ、大きなエネルギーがうねる国際会議に参加することができたのは、ひとえにエイズ予防財団のご厚意による。同行された財団のみなさま方は現地でも、学会参加がより円滑となるようにつねにこの上ない仕方でご高配をくださった。公の場ではあるのだが、ひとことお礼を申し上げることをどうかおゆるしいただきたい。