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第16回国際エイズ会議参加報告書

JaNP+ 
川名奈央子

 なぜ、今のエイズ対策は結果(consequences)への対処ばかりに追われていて、いまだに根本原因(root causes)を解決するような対策が行われえないのか。そのようななかで、このような国際会議を行うことの意義はなんだろうか。

これが今回、初めて国際エイズ会議に参加して強く感じたことである。

 根本的な原因には、例えば、ジェンダーがあげられる。エイズの流行の女性化(Feminization of AIDS)は、5月31日から6月2日までニューヨークの国連本部で行われた「国連HIV/AIDS対策レビュー総会」のパネル・ディスカッションでも取り上げられたテーマであり、今回の会議でもインドネシアの若い女性HIV陽性者のフリッカが開会式でスピーチをしたことに象徴されるように、女性により焦点が当たっていたように思う。ただ、このようなフォーカスを実際に対策に反映し、実施していくことに国際会議が貢献できているかは非常に疑問が残る。

 ジェンダーとHIVに関しては、ひとつ、非常に興味深い機会をいただくことができた。HIVとともに生きる女性たちの国際コミュニティ(International Community of Women Living with HIV/AIDS, 以下、ICW)の創設者の1人であり、現在はUNAIDSのパートナーシップ・アドバイザーであるケイト・トムソンが企画した、女性HIV陽性者と、UNAIDSの特別代表となったノルウェイのメッテ・マーリット皇太子妃との昼食会である。 この昼食会にはケイトと私を含めて世界から8名の女性陽性者が招待され、それぞれが女性(ジェンダー)とHIVについて話をし、現在のエイズ対策について意見を交わそうというものだった。

 このなかで印象的だったのは、ボリビアの女性の、ヴァルネラビリティとリスク・リダクションの違いについての話だった。「1人の若い女性がある男性を好きになった。デートの晩、彼女は夕食後にこれから自分たちはセックスするかもしれないと思い、コンドームをかばんに入れる。でも、夕食のあと、彼の部屋に行く前に予測していない事態が起きる。彼と彼の友人にレイプされたのである。彼らは力も強く、自分はどう抵抗しても無力だった。コンドームを持っていくということがリスク・リダクションで、これは自分がコントロールできることである。しかし、レイプという自分でコントロールできない事態にさらされる。これが私たち女性が持つヴァルネラビリティである」。

 これは、HIV感染予防のABCにもあてはまる。禁欲(abstinence)を守ろうとしても、レイプというかたちで性的な暴力にさらされる場合もある。また、自分で結婚する年齢や相手を選べない女性がどれだけ多いことか。貞節であっても(Be faithful)、相手の男性がすでにHIVに感染していたり、夫が婚外のセックスでHIVに感染したりした場合には、妻やパートナーである自分は感染を防ぎようがないのである。コンドーム(Condom)についても、それが有効であることはわかっていても、使うことを言い出せるような関係がなければ、あるいは使うことを男性が拒否すれば、何の意味も持たないのである。ジェンダーは男女の問題であり、女性のみが意識や行動を変えても、男性が変わらなければ解決にならない。そういう意味では、男性の関与も不可欠である。

 また、別の参加者であるウクライナの女性は、注射による薬物使用からHIVに感染し、妊婦検査でそれがわかったという。母子感染予防に関する情報が当時すでにあったにもかかわらず、それを伝えられることはなかった。HIVに感染している女性が子どもを産むべきではないという意見はいまだにあり、台湾の疾病管理センターの副理事長が、「HIV陽性と診断された女性は妊娠を考えるべきではない。妊娠がわかったら堕胎という選択肢を考えるように医師が積極的に進めるべきだ」と発言したことを「Taipei Times」の社説(8月29日付)が批判している。女性の性と生殖の権利と健康も、HIVでは常に取り上げられるテーマである。にもかかわらず、このような意見がいまだにまかり通るのはなぜなのだろうか。

 ちなみに私は、アジア太平洋地域の女性の直面している現実、例えば、エイズ対策では女性はいつも後回しになってしまうこと、また、教育の保障など女性ひとりひとりのエンパワーメントがなければ、女性は常にヴァルネラブルな立場に置かれてしまうことを話した。また、私は唯一、先進国、そしてグローバル・ファンドへの資金拠出第2位の日本からの参加者だったので、そのような国にいながら、友人たちや職場どころか、自分の家族にも感染の事実を伝えることができず、いまだに根強い差別と偏見にさらされながら生きている女性が多いことを伝えた。ノルウェイも有病率は日本と同様に低い。そして同じように、国外への支援は目覚しい一方で、国内にはまだまだ差別や偏見があり、医療の場で差別的な扱いを受けることもあるという。HIVは途上国だけの問題ではない。先進国も外への支援と同時に国内にちゃんと目を向け、治療やケア、予防などの対策をとるべきだといことも言わせていただいた。

 女性のヴァルネラビリティに関しては、ジンバブエにある世界食糧農業機関(FAO)で、エイズで夫を亡くした女性の財産権の問題に取り組んでいる日本人女性の方と、友人を介して知り合うことができ、意見を交わすことができた。ジンバブエではエイズで夫が亡くなった場合、妻である女性は夫が亡くなったことに関して非難されるばかりか、子どもや財産全てを夫方の親戚に取られてしまう。これはジンバブエだけでなく、アフリカに共通することでもあり、もちろん世界の他の地域でも見られることである。こうして、女性はさらにヴァルネラブルな立場に置かれる。また、残された子どもたちは、十分なケアが受けられず、教育の機会も与えられない。仕事をするためのスキルが得られないまま、女の子は生きるために自分の性を売ることも多く、さらにHIV感染のリスクが高くなる。

 社会的、文化的、経済的な男女の不平等が、女性をHIVに対してヴァルナブルな立場に置いている。これはエイズが報告される前からずっと続いている問題だが、HIVの出現でより顕著になったといえる。これを良いチャンスと逆にとらえ、解消していこうという努力をなぜしないのか。女性が置かれているヴァルネラブルな立場を解決するような対策がとられない限りは、エイズの女性化は止められないし、ひいてはエイズの流行を食い止めることはできない。

 では、国際会議はそのようなエイズ対策において、どう貢献していけるのだろうか。

 これに関しては、Lancet(イギリスの医学ジャーナル)の編集者である、リチャード・ホートンが興味深い記事を書いている(UNAIDS magazine HIV this week, 2006年8月25日号)。

 彼は今回のエイズ会議を、「新しいARVの可能性がもたらされるなど科学的な進歩があり、治療から予防へのシフトがみられ、女性が中心にすえられた」とする一方で、「2010年のユニバーサル・アクセスのターゲットへのロードマップを示すことはできなかった。また、ビル・ゲイツやクリントン元アメリカ大統領などの著名人だけにスポットがあたり、焦点が絞られない会議だったうえに、アフリカが無視されていた」と批判している。さらに、グローバル・ファンドや「大統領エイズ救済緊急計画」(PEPFAR)やゲイツ財団などの強力な財政機構によって現在、160万人がARVを得ているという、うわべだけの目標達成が国際社会の自己満足を生んでいると続けている。

 彼はまた、エイズ・コミュニティを主導している人々に、今回の会議で答えを得られなかった10の質問を投げかけている。

  1. エイズ対策拡大への国際社会の真のコミットメントがいまだにないことを、なぜ我々は認めないのか。
  2. より広い、保健、経済、社会、文化的なエイズの文脈が、なぜいまだに無視されているのか。
  3. われわれの科学の定義がいまだに試験室での実験や治験のみに限られるのはなぜか。
  4. 国際エイズ会議では、生物学、医学、疫学、社会科学、政策決定が、なぜ、それぞれ平行に位置し、独立した「トラック」であるとみなされるのか。
  5. エイズが最初に報告されてから25年経った今、なぜいまだに子どもが無視されているのか。
  6. 保健機関のプログラムは、なぜいまだに時代遅れで科学的にも崩壊した禁欲という考えを基本としているのか。
  7. なぜ、いまだに市民社会とNGOは国際的なエイズ対策において、与えられるべき信用を与えられていないのか。なぜ、いまだにコミュニティを社会変革の手段としてみていないのか。
  8. なぜ、男性同性愛者や女性、先住民、移民、難民、国内避難民、ドラッグユーザー、セックスワーカー、獄中者へのスティグマがエイズ対策の焦点にならないのか。
  9. なぜエイズとの闘いに全力を傾けている人々は、お互いの悪いところばかりを講義することを好み、対話やパートナーシップのための合意点を見つけるために努力しないのか。
  10. 最後にもっとも厳しい質問だが、なぜ世界のエイズ対策は失敗しているのか。

 彼は最後に、エイズの流行は国レベルで効果的なプログラムを行うことによって食い止めることができると述べている。国の対策にフォーカスすることこそが、国際エイズ学会の会議の目的であるべきであり、国の進歩を監視し、全ての関係者に対して、エイズとの闘いに責任を持たせ、(次の会議までの)2年間の測定可能な目標を設定するという、世界的なアカウンタビリティのメカニズムであるべきだと。そして、2008年に行われるメキシコでの国際会議の成功は、会議が科学的な会合と国際的なエイズの標識というこれまでの位置づけから、国レベルでの予防や治療とケアの進歩を促す調整機構になれるかどうかにかかっていると結んでいる。

 彼が述べる国際会議の役割は、アジア太平洋地域のエイズ会議にも、あるいは日本国内のエイズ学会にもあてはまる。新しい薬の開発は喜ばしいことだし、成功したプログラムの成果発表、または失敗しているプログラムの批判も、やったことをちゃんと評価するという意味では大切なことである。ただ、現在ある薬にもまだアクセスできていない人がほとんどだという現実などを考えると、新しい薬の開発を発表する国際会議の存在意義はなんだろうかと考えさせられる。つまり、会議で発表されたことが、私たち陽性者やHIVに影響を受けた人々、そしてコミュニティに生かされていかなければ意味がないし、研究や評価の成果をどう生かすかまでを問われないままでは、巨額のお金をかけて単なる机上の空論を垂れ流しているだけに過ぎない。

 開会式でスピーチを行ったフリッカは最後に、「私は約束を果たすことができると思っています。あなたがたはどうですか?」と問いかけている。私は、少なくとも今回の会議の参加者は、それぞれがエイズの流行に対して何かしたい、そしてできると信じている人たちだろうと思っている。それを現実のものとするために、またHIV陽性者であれ、政府機関や国際機関の関係者であれ、科学者であれ、それぞれが持つ力をフルに発揮できるようにパートナーシップを築いていかなければならない。そして、それぞれの負っている責任を2年ごとに行われる国際会議という場で、真摯に問うていくべきではないだろうか。