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第17回国際エイズ会議 参加報告書
 

ジャンププラス(JaNP+)
羽鳥 潤

テーマ:心の中のStigma ~AIDS2008 メキシコ国際会議に参加して~

「Stigmaってなんだろう?」
HIVの陽性告知を受けた直後、病院からパンフレットをかき集め、さまざまな支援団体のWebsiteを片っぱしからサーフィンして情報を集めまくろうとした時期がある。その時、ひんぱんに目について印象的だったのがStigma、‘スティグマ’という言葉だった。

すでにHARRT療法が確立され「’HIV=AIDS’=死ではない」という周知はなされていた。さらに私の場合、告知から投薬治療を開始するまで時間的な余裕があり、支援団体を通じて知り合った陽性者の知人たちから、パンフやネットではすくえないリアルタイムの情報も手に入れることができた。薬を飲み始めて体調の変化が気になることはあったが、副作用についての知識をある程度身につけていたためあわてることなく対応できた。いつしか’病気に対し過敏に反応していた自分が消え、昨日と今日、今日と明日、と毎日を同じように繰り返す自然の流れに任せた毎日を送ることこそが治療に適した環境なのだ、と理解するようになっていた。

ごく最近まで、私は…自分が置かれた状況が実は非常に恵まれていたということ…辿ってきた道程がいかに幸福なものだったのか、その事実に気づかなかった。身近なところに友人がいて、便利にアクセスできる情報源があり、病気に対する不安を自分だけで抱え込む心配はあまりない。それがどんな陽性者にも当たり前のように与えられているものだと信じていた。そんな私にとってStigma(汚名)という概念は身になじまない言葉だったのだ。

そう言いながら、私は自分の病気のことを家族や友人の一部、ほんの一握りの人にしか知らせていない。正直言って、昔からの知り合いに陽性者と知られるのは今でも怖い。体調の悪い時には宇宙からやってきた寄生虫が自分の皮膚を食い破って体内で増殖していく悪夢を見たりもする。昔のように、心の中がスッキリと晴れ渡っている状態ではなく、絶えずぼんやり霞がかかっていることに、本当はずっと前から気がついている。

「そうか。このぼうっとしたシミのようなものが、きっと自分にとっての’Stigma’なんだ」

AIDS2008、第17回国際エイズ会議に参加して一番印象に残ったのは…世界中の陽性者がそれぞれの、自分にとってのStigmaを抱えていること。肌や髪、瞳の色が違っていても、男性であっても女性であっても、大人であっても子供であっても同じである、そのことをきちんと認識できたことだった。

さまざまなセッションに参加したが、Crime and Punishmentに関するプログラムは印象的だった。最近、他人にHIVを感染させた陽性者に対して法的制裁を加えよう、という動きがいくつかの国で見られ、実際に制定された法律で刑が執行されているケースも現れている。医学の進歩によってHIV=エイズというかつての常識が崩れ去り、医療者と当事者が協調してある程度の健康管理ができるレベルにまでなってきた。それにも関わらず、こうした法統制はStigmaを抱えた陽性者に心理的不安を増長させ、「自分は犯罪者として処罰されるのではないか」という恐怖感から治療へのアクセスを拒んだり、HIV感染に関する誤解を広げる大きな危険性をはらんでいる、という議論である。

予防知識があればHIVの感染は防げるし、適切な医療によって治療も行うことができるのに、法の裁きを適用することで医療技術の進展を理解していない大多数の人たちが警戒感を募らせ、偏見のバリアを拡げるに違いない。海外に目を向ければ、情報化社会の日本とは違い、治療やケアの情報へのアクセスに制限が加えられている国もまだ数多く存在している。そうした場所で陽性者に対して法規制を加えるのは一種の’魔女狩り’にほかならない。人々の間に猜疑心を蔓延させ、かつてのゲットー化のように非人道的行為に走らせる人たちを出現させる危惧も覚える。Discriminate(差別)という言葉は、Criminate(有罪化)という言葉とまさに紙一重の関係にあるのだ、と考え込まされた。

今回のメキシコ会議では「今後のエイズ対策に必要な3本柱、それはPreventionとTreatment、そしてHuman Rightsだ」という意見も寄せられたように、キーワードは「人権」であり、他のセッションやプログラムでも盛んに引用されていた。

病気を経験して初めて知ることは多く、自分は多くの人たちに支えられている、という感謝の気持ちも持つようになるが、それは自分の人権が社会の中で確実に守られているという前提があるからこそ達成できる話だ。こうした体験のひとつひとつが自分の中に抱えたStigmaを薄いものにしていくが、人権の守られない法規制によって蹂躙された社会では、Stigmaはより黒く淀んだ、重苦しいものになってしまうはずである。

男性が優遇されている社会の中で蔑視された存在である陽性者の女性が抱えるStigma、セックスを商売にした報いだ、とばかりに偏見と差別に苦しめられているセックスワーカーたちが抱えるStigma、そしてMSMのような性的マイノリティ、ドラッグユーザーなど孤立した存在になりがちな人々が抱えるStigma…仮に世界中に3,500万人もの陽性者がいるとすれば、3,500万通りのStigmaが存在する。しかしそれらはバラバラに存在しているのではなく、ひとつにつながっているのだ。だからこそ、遠く離れた見知らぬ場所に住んでいる人の苦しみを、日本にいる自分が感じることができるのだと思う。

誰もが心の中の曇りを払いきることができずにいる。けれども、治療を受けることでいつか青空を戻すことができるかも知れない。そのために自分にできることは何か。私は、同じ願いをもつ見知らぬ陽性者の人たちのため、そして自分自身のために、Human rightsという言葉の重みを噛み締めている。