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第17回国際エイズ会議 参加報告書
 

(特活)アフリカ日本協議会
稲場 雅紀

テーマ: メキシコ国際エイズ会議でも焦点化されたHIV陽性者への渡航制限問題
=新たな政策形成プロセスの進行と、米国での渡航制限撤廃に向けた進展を踏まえて=

1.HIV陽性者渡航制限問題の歴史的背景

1985年から開催されている国際エイズ会議に毎回影を落とし続けてきた問題、その一つが、HIV陽性者の渡航制限(Travel Restriction)の問題である。1989年にサンフランシスコで開催されたエイズ会議が、HIV陽性者に対する米国政府の渡航制限政策に反対する米国内外のラディカルなHIV活動家たちの猛攻にあって立ち往生し、1992年には、もともとボストンで予定されていた会議が、開催国を変えてアムステルダムで開かれることになるなど、渡航制限問題は初期の段階からエイズ会議そのものの開催を揺るがしてきた。これを踏まえて、国際エイズ学会は、HIV陽性者の短期滞在を制限する法律を有したり、入国希望者の査証取得に際してHIVの有無を申告させる制度のある国においてエイズ会議を開催しない方針を有している。このため、こうした入国規制制度を持つ米国においては、89年以来、国際エイズ会議は開催されていない。

HIV陽性者の入国規制を持つ国に対して、国際エイズ会議がこのような厳しい姿勢をとっているのは当然である。HIV/AIDSはいまだに完治のための医療技術が開発されておらず、そのコントロールにおいて、HIV陽性者やエイズの影響を受けたコミュニティの主体的な参画による予防、ケア、サポートがきわめて重要である。また、治療についても、一生涯の継続が前提となるため、単に医療技術者による患者への治療の提供というだけでなく、いわば継続的な当事者同士の相互扶助や意識啓発の運動が、治療の持続性確保において非常に重要である。つまり、HIV/AIDSにおいては、医学専門家や援助技術者の位置はむしろ相対的なものであり、HIV陽性者や影響を受けたコミュニティ、市民社会のあらゆるレベルでの参画が必要なのである。国際エイズ会議は、こうしたエイズの性格を反映して、80年代後半以来、HIV/AIDSにかかわるすべての人々の対等な参加を保障する形で行われている。HIV陽性者の短期滞在の規制は、国際エイズ会議に不可欠なHIV陽性者の参画を阻害するものであり、国際エイズ会議の本来の開催目的を危うくする。国際エイズ会議が入国規制のある国で開催されないのは、その本来の性格を守る上でも当然のことなのである。

2.渡航制限問題に関するタスクフォースの設立

メキシコで開催された国際エイズ会議で、8月5日、渡航制限問題に関する特別セッションとして「HIV陽性者への渡航制限」(Travel Restrictions on People Living with HIV/AIDS)が開催された。昨年12月に、国連合同エイズ計画(UNAIDS)、国際エイズ学会、フランス・ブラジル・エル=サルバドルなどの政府およびHIV陽性者を中心とする市民社会組織から委員を選出して「HIV関連の渡航制限問題に関する国際タスクフォース」(International Task Force on HIV-Related Travel Restrictions 以下、「タスクフォース」)が作られた。このシンポジウムでは、同タスクフォースに参加する委員が勢ぞろいし、渡航制限問題に関する分析や方向性について討議した。

このシンポジウムの背景には、ここ数年での渡航制限問題に関するいくつかの進展がある。これまで大きな動きが見られなかったこの問題に関して、今年になってタスクフォースが設立されたのは、昨年11月に中華人民共和国雲南省昆明市で世界エイズ・結核・マラリア対策基金(世界基金)の理事会が開催されたことにかかわる。中華人民共和国の出入国管理法には、HIV陽性者の入国を拒否する条項があり、昨年9月1日以降、この規制を徹底するために、ビザ申告書にHIV感染の有無を記入する項目がこれみよがしに設けられた。これに対して、世界基金の理事会のうち3議席を構成する先進国・途上国および三大感染症の影響を受けたコミュニティの理事が、このまま理事会の開催が強行されるなら出席しない、との見解を表明した。これにより、様々な調停努力が行われ、結果として、中国での理事会開催は平穏に行われたが、この理事会で、世界基金の重要な会議はHIV陽性者の短期入国規制のある国では行わないこと、および、「タスクフォース」を設立して渡航制限に関する取組方針を明確化することが決定された。

こうした動きの結果として設立された「タスクフォース」には、先にも述べたように、UNAIDSや市民社会代表、学識経験者のほか、フランスやブラジルなどを中心に渡航制限問題に積極的に取り組む国の政府メンバーが参加し、渡航制限問題に関する様々な側面を検討している。重要なのは、この「タスクフォース」において、渡航制限問題が単に短期滞在に関する規制のみならず、外国人HIV陽性者の入国、滞在、長期にわたる在留のすべてを含む問題であるという再定義がなされたことである。現在、留学や就労、結婚などによる長期在留に関してHIV感染の有無を申告させたり、正規の在留許可をとっている外国人がHIV陽性であることが判明した段階で退去強制を行っている国は数多くあり、外国人HIV陽性者の入国・滞在・在留に関して何らかの規制を加えている国は合計して70カ国以上に上っている。その中には、韓国や台湾など東アジアの富裕国も含まれている。WHO・UNAIDSはもとよりHIV対策としての入国規制が公衆保健政策上なんらメリットをもたらさないことを指摘し、渡航制限の撤廃を各国に要求しているが、具体的に法律の改正に向けて動き出している国は極めて少ない。「タスクフォース」は、本年12月に最終報告書を完成・提出する。これは、各国に向けて渡航制限撤廃の働きかけを行っていく上での重要な文書となるだろう。

3.HIV陽性者の渡航制限撤廃に大きく踏み出した米国

もうひとつの大きな動きが、米国における渡航制限の撤廃に向けた動きの加速化である。このシンポジウムには、この動きを大きく進展させる上で主要な役割を果たした、カリフォルニア州選出の民主党下院議員、バーバラ・リー氏がパネリストとして参加し、米国の動きを生々しく紹介した。リー氏は、2006年のトロントでの国際エイズ会議以降、米国のHIV陽性者の渡航制限問題について、既存の法律を撤廃させるべく様々な働きかけを行った。当初は、移民問題との関係で外国人の出入国に関する法改正には否定的な雰囲気が根強かったが、議会での粘り強い取り組みの中で、風向きがかなり変わってきた。一方、2003年のブッシュ大統領の一般教書演説により開始された「米国大統領エイズ救済緊急計画」(PEPFAR)の内容改善に向けても、議会では市民社会のアドボカシーを受けて様々な取り組みがなされていた。PEPFARが2007年に終了し、2008年から、より巨大な規模で包括的にHIV/AIDSへの取り組みを進める形で次期PEPFARが構想され、議会でも次期PEPFARに関する立法上の取り組みが進められていたが、この動きとバーバラ・リー氏を中心とした渡航制限問題への取り組みとが一体となり、渡航制限の廃止は、次期PEPFAR法の中に位置づけられることになった。7月17日、下院に続いて上院で第2次PEPFAR法が採択されたことにより、米国のHIV対策の大きな汚点のひとつとなり続けてきた渡航制限は、本年中に廃止される見込みが立ったのである。リー氏は、「これにより、米国でエイズ会議を行うことができる見込みが立ちつつある」と述べ、会場は拍手に包まれた。

4.HIV感染を理由とするあらゆる渡航制限の撤廃に向けて

米国におけるHIV陽性者渡航規制の完全な撤廃は、HIV陽性者の渡航規制問題の解決に向けた大きな進展である。しかし、「タスクフォース」が明確に指摘するように、「渡航規制」は、会議出席などのための短期滞在の問題に矮小化されるべきではない。実際には、長期滞在者のビザ取得に関する陰性証明の義務付けや、正規滞在者でもHIV陽性がわかったら退去強制するといった規制のほうが、現実にHIV陽性者の人権やHIV対策の進展においてもたらす影響は格段に大きい。こうした入国規制により、移住労働者におけるHIV/AIDS対策がまともに展開できないといったことも、特にアジア地域などで現実に生じており、アジア地域の移住労働者とエイズに取り組むネットワークは、入国・滞在・在留にかかわる強制検査を撤廃するためのキャンペーンを展開している。

こうした厳しい規制をもち、実際に運用している国々は、韓国・台湾を始め、HIV/AIDSへの国家レベルでの取り組みを重要視していない東・南アジア、中東・北アフリカ、旧ソ連圏などを中心に世界で30カ国に上っている。こうした国々に対して、エイズ対策への国家の政治的意思の発動を要求し、効果的なエイズ対策に反する法律の改正を求めていくことが必要である。「タスクフォース」の最終提言が、こうした取り組みの促進につながることが期待される。

G8洞爺湖サミットに向けたG8の政策議論でも、HIV陽性者の入国規制問題が取り上げられた。洞爺湖サミットで採択された「国際保健に関する洞爺湖行動指針」の当初案では、「入国規制の緩和・撤廃に向けて(努力する)」との文言が盛り込まれていたが、入国規制制度を持つ米国、ロシアの反対により、法改正を意味しうる文言は削られ、「HIV陽性者の渡航について便宜を図る」(facilitating travel)という表記にとどまった。しかし、G8サミットのコミュニケでは、「(G8は)この問題に引き続き関与する」との文言も入れられ、今後に期待を残す形となった。米国の入国規制の撤廃見通しが強まったことにより、来年以降、G8において、より積極的な文言が採択される可能性がある。G8における積極的な文言の採択は、世界的な入国規制問題の解決への重要なステップとなりうるものである。

「タスクフォース」のUNAIDSからの委員を務めるスーザン・ティンバーレイク氏(Susan Timberlake)は、シンポジウムを締めくくるにあたって、「12月のタスクフォース提言採択以降は、これを利用して、各国の市民社会が、各国政府に対して積極的な取り組みを行うことが必要である。国内での市民社会の取り組みが死活的に重要である」と締めくくった。もちろん、国内でのアドボカシーの取り組みが重要であることは論を待たない。しかし、これら入国規制を持った国の多くが、国内においてHIV/AIDSに取り組む強力な市民社会を持たない国々であることを考えれば、入国規制問題は、単にそれぞれの国内の市民社会運動にゆだねられるのでなく、UNAIDSなど国際機関や、入国規制撤廃に強い意思を持つ各国をも含めた、グローバルな連携が必要であることも事実である。G8諸国の市民社会は、地球レベルでの政策形成におけるG8の重要性にかんがみて、この問題についても、連携しながら積極的に取り組んでいく必要がある。

最後に、本セッションを含む国際エイズ会議への派遣事業を実施してくださったエイズ予防財団に心より御礼を申し上げます。