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第19回国際エイズ会議 参加報告書
 

(特活)アフリカ日本協議会
稲場 雅紀

(試論)世界経済危機下でのグローバル・エイズ政策の変遷
 =「エイズを終わらせる」スローガンの陰で何が進行しているのか?=


1.はじめに

 HIV陽性者に対して米国がとってきた入国規制政策は、HIV陽性者に対する排除の象徴としてとらえられてきた。今回、米国で22年ぶりに国際エイズ会議が開催できたのは、この入国規制が撤廃されたからである。実は、この入国規制撤廃はオバマ民主党政権の手によるものではない。2003年に開始された「大統領エイズ救済緊急計画」(PEPFAR)の大規模な見直しが、第2次ブッシュ政権下において議会主導で行われた際、2006年からこの問題を提起していた民主党のバーバラ・リー議員の粘り強い訴えが功を奏して、入国規制の撤廃が第2次PEPFAR法に組み込まれた。入国規制の撤廃への道はオバマ民主党政権の誕生を待たずして、切り開かれていたのである。

 オバマ大統領は就任後、なかなかグローバル・エイズ対策の責任者を任命せず、就任から半年たってようやく、90年代にクリントン政権で国内エイズ対策を担当していたエリック・グースビー氏をグローバル・エイズ調整官に任命した。グースビー氏はPEPFARと保健システム強化の統合に一定の力量を発揮している他は目立った業績を上げておらず、残念ながらオバマ政権のエイズ対策にはブッシュ政権と比較して目立ったものはないのが現状である。今回の国際エイズ会議では「エイズを終わらせる」「エイズ・フリー世代の実現」といったスローガンが踊った。しかし、オバマ政権は、昨年秋から掲げ続けているこれらのスローガンを具体的なスローガンで裏打ちする努力を怠った。今回のエイズ会議で表明されたのは、今年のエイズデーまでに「エイズ・フリー世代」を実現する「青写真」を出す、という言明のみだった。オバマやクリントンの華麗な演説はすべて、実際に政策を担うグースビーの腹の中に収まり、我々の前から消えてしまったというべきなのだろうか。

2.「エイズを終わらせる」とコミュニティ

 今回のエイズ会議を席巻した「エイズを終わらせる」「エイズ・フリー世代の実現」などのスローガンは、たしかに、変化する国際保健政策の中でのエイズの優先順位のさらなる下落を押しとどめる役割は果たしたかに見える。それは、シディベ事務局長の下でUNAIDSが打ち出した「3つのゼロ」という究極の目標にこだまするものである。

 一方、発語にはそれを実現しうる何らかの内実が伴っている必要がある。「エイズを終わらせる」内実はなにか。それは端的に、ここ1年の間に打ち出されてきた「治療=予防」(Treatment as Prevention)とその実体化としての「検査即治療」の実施である。これは特に、昨年6月の国連エイズ対策ハイレベル会合の直前に発表された一つの研究結果によって加速された。一方が陽性、一方が陰性のカップルにおいて、早期治療を実施すると、その96%において、陰性の相手へのHIV感染を防ぐことができた。この研究結果から、「早期発見・早期治療」により、HIVの新規感染をできる限り減らすことが要請されることとなったのである。さらに、新たなタイプの核酸系逆転写酵素阻害剤であるツルバダによるHIVへの被曝前感染予防(PrEP)効果が認められ、治療だけでなく、予防における抗レトロウイルス薬導入が現実となった。これらの新たな手段によって出来るだけ早く「新規感染ゼロ」を実現し、一方、早い段階で途上国での母子感染予防への普遍的アクセスを実現して「エイズ・フリー世代」を生み出すことで、「エイズを終わらせる」というのが、その具体的なシナリオである。

 このシナリオの問題は二つある。一つは、このシナリオが、エイズの31年の歴史を培ってきた一つの哲学を挫折させる危険性を持つものであるということである。このシナリオは、HIV感染予防をHIV治療薬に依存させるという点で明らかな「予防の医療化」「エイズ対策の医療化」の意味を持つ。これまでのエイズの歴史において、予防はHIV治療薬にではなく、当事者、特に「エイズの影響を受けた、対策のカギとなる人口層」(key affected population)のコミュニティの活性化、HIVに対する取り組みの主体化に大きく依拠するものとなっていた。結果として、これまで周縁化されてきた、HIV陽性者を始め、MSM(男性とセックスをする男性)などのセクシュアル・マイノリティ、セックス・ワーカー、薬物使用者、移住労働者・移民、少数民族、獄中者たちがエイズという回路を通じてコミュニティの組織化を実現し、エイズへの積極的な取り組みを行い、様々な新しい実践を生み出すに至ったのである。それはエイズという巨大な疾病が生み出したほぼ唯一の僥倖であった。

 今回のエイズ会議でも、もちろん、これらのコミュニティによるエイズに関わる実践の豊かさが様々な形で披露された。しかし、米国という風土のフィルターを通ったが故の印象という側面もあろうが、これらコミュニティの取り組みについては、「エイズ対策への具体的な効果」「コミュニティ・エンパワーメントと当事者の主体化の具体的な成果」を把握し評価・共有するよりもむしろ、これらの課題を「人権」という観点に押し込め、狭い意味での政治的な課題として扱う方向に、大きな力が作用していたように感じられた。これまでのエイズの歴史において、エイズ予防対策の主要部分をなしてきたこうしたコミュニティの取り組みが「人権問題」に切り縮められ、これらの対策を容認しない偏狭な国々を非難する言説に単純化される一方で、予防の大きな部分が抗レトロウイルス薬の大量導入による「予防の医療化」に移行していく方向性が打ち出されるとなれば、人々が自らの命と健康を自らの手で守る、という、これまでエイズへの取り組みが築いてきたビジョンは危機に瀕することになろう。

3.「エイズ対策の医療化」を地球規模で担う資金はどこに?

 このシナリオのもう一つの危険性は、より即物的なものだ。「資金」である。「治療=予防」「検査即治療」はいずれも、早期段階から治療を導入するものである以上、少なくとも短期的には、より多くのコストを必要とする。エイズ治療への投資を現在以上に拡大することが求められているのである。

 また、途上国では、貧困や、エイズという病気に対する不十分な理解、親族や隣人との「助け合い」精神に基づくシェアリング、脆弱な医薬品供給体制、といった治療中断の要因が、先進国よりも多く、頻繁に存在する。こうした状況で早期段階からの治療を導入するのならば、薬剤耐性の問題に鑑み、途上国における抗レトロウイルス薬の選択肢を先進国並みに増やすことは必須といえるであろう。これに関していえば、途上国における治療へのアクセスと知的財産権保護のバランスを、より治療アクセス側を優先する形でとっていく形での「政策一貫性」が不可欠であると言える。

 では、今回の会議で、また、ここ数年の経済危機の状況下で開催されてきた様々な国際的な場の中で、リーダーたちがこれを担う覚悟を示すことはあっただろうか。残念ながら答えは否と言わざるを得ない。世界エイズ・結核・マラリア対策基金は、2011年前半に喧伝された「現場での資金の不正流用」などの問題が引き金となって資金的危機に陥り、人事の大転換や事務局の再編成などの大仕掛けな「改革」を打ち出すことで、なんとかドナー諸国の信頼を回復しつつあるが、今後、「エイズ対策の医療化」のコストを支えうる多国間の資金拠出機関として復活しうるかについては疑問なしとしない。治療アクセスと知的財産権については、国際航空券税を活用した「医薬品特許プール」など革新的な取り組みは存在するが、これらの取り組みへの先進国の製薬企業の参画の動きは鈍く、むしろ、二国間・多国間の自由貿易協定・経済連携協定における医薬品関連の知的財産権保護の強化のうごきの方がはるかに目立つのが現状である。

 資金の面からみれば、革新的資金メカニズムの導入、特に、市民社会が求めている金融取引税の多国間での実施による「地球規模課題への地球規模の対応」は、魅力的な選択肢である。今回のエイズ会議においては、フランスのオランド大統領が金融取引税の導入を明言し、その一部をHIV/AIDS対策に拠出する方向性を示唆した。またUNAIDSのシディベ事務局長は開会式の演説で「今こそロビン・フッド税を」とはしゃいだ。しかし、金融経済の牙城である英米は今に至るまで、世界の「金融取引税」導入への要求を無視して恥じない。

 米国の市民社会は、直接行動を旨とするエイズ・ラディカリズムのグループも含めて「我々はエイズを終わらせられる」(We can end AIDS)と呼号し、「治療=予防」「検査即治療」をはじめとする「エイズを終わらせる」シナリオの早急な導入と、それに見合ったエイズ対策費の増額、金融取引税の実現、知的財産権保護の抑制を強力に訴えた。そのことによって、市民社会は期せずして、極めて大きな責任を有する立場に自らを追い込むことになった。保健システムの脆弱さをはじめとする途上国の多様かつ過酷な現実において「治療=予防」「検査即治療」が先進国同様に有効性を持ちうるか、持ちうるとしたら、いつまでか、といった、本来問わねばならぬ問いを今、ここで置くとしても、市民社会はその立場に立つ限り、自らの責任において、これまで以上の資金動員と知的財産権に関わる「政策一貫性」の確立を実現しなければならない。その一方で、市民社会はその選択をすることによって、エイズ対策において、当事者が主体化し、自らの手で自らの健康を守る方法を獲得する、というプライマリー・ヘルス・ケアの要素を後景化させ、エイズ対策を「医療」に依存させることに加担することになるのである。これらは本来、極めて難しい選択であるはずなのである。

4.国際保健政策のアジェンダとHIV/AIDS

 上記課題と並行して、もう一つ問わねばならないことがある。このエイズ会議において、今、進行しつつある「国際保健政策」の変遷の文脈とエイズ対策がどのように絡み、また、絡まなかったかという点である。

 2008年秋のリーマン・ショック以降、国際保健政策は決して前進を遂げていない。「国際保健への投資」が頭打ちになる状況が目に見える中、途上国の保健システム強化、なかんずく保健人材の強化というイニシアティブは雲散霧消し、その代わりに、個別疾病・個別課題対策のイニシアティブが、資金保有者の顔色をうかがう形で数多く分立した。ポリオをめぐる動きはその典型である。また、「非感染性慢性疾患」(NCDs)に関する動きも、予防としてのプライマリー・ヘルス・ケアの要素が捨象され、治療に必要な医薬品アクセスの拡大もまともに議論されていない以上、せいぜいが日和見的なものと断ぜられても仕方がない。

 一方、保健システム強化の代替語として打ち出された感のある「ユニヴァーサル・ヘルス・カヴァレッジ」(UHC)は、本来の意味でというよりも、「保健財政」の在り方に焦点を当てた形で議論が先行している。こうした国際保健政策の中で、HIV/AIDSは必然的にその優先度を下げつつある。

 先に述べたように、今回のエイズ会議では、「エイズを終わらせる」「エイズ・フリー世代の実現」というスローガンにより、「エイズの優先度下落」にある程度の歯止めをかけることには成功したと言える。また、今回のエイズ会議では、エイズの問題と、上記の国際保健政策を絡めて、エイズ対策と「ユニヴァーサル・ヘルス・カヴァレッジ」なり保健システム強化、非感染性慢性疾患対策とを交差させようとするセッションはいくつか存在した。例えば、米国のNGOであるMSHが行ったサテライト・セッションでは、エイズ・ケアと非感染性慢性疾患対策との調和をどうするかがテーマとなった。また、保健人材とHIV/AIDSに関するセッションでは、ルワンダの健康保険制度や、PEPFARにおける医療・保健人材育成について一定興味深い提起がなされた。しかし、いずれも、これらの交差について考える上で必要な資金や制度の課題に切り込まなかったことにより、中途半端なものに終わっていたと言える。

 「エイズを終わらせる」「エイズ・フリー世代の実現」これらのスローガンは、それを裏打ちする具体的な戦略や物質的根拠なしには空語に終わる。市民社会を始め、エイズに関わる諸セクターは、現代の国際保健政策とエイズの課題に関して、その接点を見出すべく、積極的に切り込む必要がある。

5.おわりに

 米国は世界のエイズ対策の6割を拠出し、エイズ対策において、名実ともに「リーダー」であると言える。その米国で、22年ぶりに、しかもオバマ民主党政権が満を持して行ったのが今回のワシントンDC国際エイズ会議であった。しかし、残念ながら、その成果は、米国が本来示しうる水準に達したものではなかった。オバマ大統領が本来出席を予定されながら、コロラド州で起こった虐殺事件への対応で出席できなかったのは大きな皮肉であり、また、米国が抱える深刻な病理の反映であったと言えよう。

 「エイズを終わらせる」という勇ましいスローガンは、私たちに二者択一を迫るものでもある。私たちは本来、スローガンに踊ってつんのめる前に、立ち止まって私たちがどのような選択肢の前にいるのかをよりよく把握し、「あれか、これか」の二者択一ではないもう一つの道がないのかどうかを考え、見極めなければならないはずだ。

 最後に、筆者の国際エイズ会議への参加をご支援下さったエイズ予防財団と、その「国際会議派遣事業」に心からの御礼を申し上げます。本件会議で得た内容については、別途、関心のある人々に開かれた形での報告会を行うことにより、社会に還元いたします。