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第19回国際エイズ会議 参加報告書
 

日本HIV陽性者ネットワーク・ジャンププラス
羽鳥 潤

 なんといっても、サンフランシスコから20年ぶりのアメリカ、である。
 しかし首都・ワシントンD.C.でエイズ会議が開催されるのは、実は今回が初めてではない、という。
 「1987年6月、第3回国際エイズ会議がワシントンにて開催。参加者は、7,000人にふくれあがり、エイズ活動家の活動が目立った」。
 本レポートを作成するに当たり、参考とさせていただいていた“AIDS年表”にはそう記されている。同じ年の5月、日本では財団法人エイズ予防財団の設立発起人会が開催され、11月には米国政府によって初めて承認された世界初のHIV治療薬、AZT<アジドチミジン>が販売を開始。統計によれば、1987年にWHOが発表した世界の“エイズ患者報告例(現在のPLHIVとは大きくニュアンスが異なる)”は、58,880人。25年後の2012年現在、世界中に暮らすHIVポジティブの数は推定で約3,400万人。その差、なんと577倍!
 今年7月には、HIV FREE GENERATION を目指し、米国食品医薬品局(FDA)が抗ウィルス薬、ツルバダを世界初のHIV予防感染薬として承認した。この違いだけを見ても25年の間に劇的な変化が起こったことが分かる。あのころ、まだベルリンの壁が存在し、世界は東西に分断されていたが、ウィルスはすでに世界中に広がり始めていたのだろう。
 1987年当時のアメリカ合衆国大統領は共和党のロナルド・レーガン。ジョージ・H・W・ブッシュの時代を経て、6年後にはヒラリーの夫である民主党のビル・クリントンが第42代大統領に就任。さらに20年の後、史上初のアフリカ系アメリカ人、バラク・オバマが“Change”を掲げて選挙戦に勝利、第44代大統領となった。そして、“Welcome to the United States”と、国務長官として世界中からの来場者を歓迎したのが、ヒラリー・クリントン。たしかに大きなChange、である。 それは、自分の身に置き換えても同じことだ。1987年には21歳の学生だった自分が、2012年の7月、ワシントンD.C.でAIDS2012 第19回国際エイズ会議に参加したのだから!

“HIV/AIDSの国”、アメリカ
 今回の国際エイズ会議、AIDS2012のテーマは「Turning the Tide」。いままでのHIV/AIDS対策の方向性を見直し、新たな潮の流れに変えていこう、というメッセージを含んでいた。
 しかしながら、実際に開会の蓋を開けてみると、Turning the Tide という言葉が効果的に引用される機会はあまりなく、代わりに多用されていたのが「End AIDS」や「HIV Free Generation」といった、インパクトある言い回しであった。実際、今回の会議に寄せられた興味の焦点は、世界の今後のHIV/AIDS施策の今後を占う、と観点よりむしろ「オバマ政権下のアメリカが、今後、HIV/AIDS対策にどんな展望をもっているか」という、その一点に絞られていた印象を受ける。予想通り、国際会議というよりアメリカの会議という色彩の強いイベントであった。
 医療技術の研究や開発においてアメリカは世界の中枢であり、それはHIV/AIDSの分野において同じことが言える。抗ウィルス薬の導入やレジメンなど、その後の世界各所におけるさまざまな動きに影響を及ぼす、つまり“世界の潮流の流れを変えうる”アメリカの力は甚大である。それは単に「アメリカは医療先進国だから信頼できるでしょ」という単純な発想からでなく、いまなお新規感染者が年間で5万人のペースで増え続けているという世界有数のHIV/AIDS大国であるという事実と、それにより蓄積されてきた“実績”が関係しているのであろう。
 アメリカ疾病予防センター(CDC)が2009年に発表した資料によれば、アメリカ合衆国(本土)には約120万人のHIVポジティブが存在していると推定されている。人口2億4000万人のインドネシアが推定で約40万人、人口約13億人の中国でも推定で100万人。人口1億4000万人のロシアが100万人で有病率が1%弱といわれているから、アメリカ合衆国の0.6%という統計が(想像以上に)非常に多い数であることにあらためて驚かされる。
 HIVの治療にかかる費用は薬剤の提供を含め非常に高額なので、日本の場合は患者が障碍者認定を受け、自立支援医療という医療費の補填制度を活用することができる仕組みになっている。それでは、アメリカで暮らす120万人のHIVポジティブはどうか?
 よく知られているようにアメリカは自由診療が基本の国であり、日本のように被保険者の範囲が行政機関によってコントロールされた公的医療保険システム、いわゆる“国民皆保険”とは大幅に異なる。アメリカでは民間の医療保険会社が提供するさまざまなヘルスケアプランに、個人が自らの意志で加入する仕組みが一般的。つまり、個人の健康問題は国家ではなく、個人によってコントロールされているといってよい。
 とはいえ、アメリカにも公的医療保険は存在する。ひとつが高齢者/障碍者向けのMedicare(メディケア)であり、もうひとつが低所得であるなどの理由から民間の医療保険会社に加入できない人々を救済するためのMedicaid(メディケイド)である。HIVポジティブの中でも、メディケイドの加入者であればそれを条件にHIVSNP(HIV Special Needs Plan)という専用の医療保険プランに入り、検査や医師による診察、処方治療薬の提供などを受けることができる。メディケイドの予算は連邦政府とそれぞれの州が支出し、運営は各州が行っていることから、HIVSNPで提供されるプランの内容も各州によって差異があると聞く。
 医療技術の進歩によりHIVのような治療が困難とされてきた疾病に対しても科学的なアプローチが可能になったが、同時に医療費の高騰をもたらし、メディケイドだけで医療費をまかなうことは困難となってきた。一方、景気の低迷などから経済的に民間医療保険に加入できないアメリカ国民が激増。アメリカにおける個人破産の半数は高騰化する医療費を払えなかったことに起因するとまで言われている。そうした事情を背景にメディケアに対する国民の依存度は急速に高まり、この10年で加入者数は10%増を記録した。
 しかしながら、120万人のHIVポジティブのうちメディケイドに加入できているのは約50%で、残りの人たちはメディケアに新たに導入されたPlanD(処方箋薬剤給付保険)かSocial Security Disability Insuranceなどの公的保険に頼らざるを得ないそうであるが、これらも無制限に拠出できる、というわけではないだろう。
 2012年現在、アメリカにおける65歳以上の高齢者の割合は約13%で、日本の22%に比べればまだ“若い国”といえるが、やがては同じ運命をたどるであろうと言われる。医療保険破綻というシナリオを想定し、1990年代から民主党政権は国民皆保険システムの導入を進め、2010年にオバマ大統領が医療保険改革法案を成立させた。これは、全国民に民間の医療保険への加入を義務付けるというもので、代わりに国民のメディケイドやメディケアへの依存度を引き下げようという試みである(メディケイドについては将来的に廃止の方向で検討されているようである)。
 医療費のさらなる増加を抑えるためにも、オバマ政権にとってHIVの予防施策の推進がプライオリティの高い重要課題のひとつであることは間違いなく、今回の実質的なメインテーマとなった"Treatment is Prevention"も、こうした事情を背景に考え出されたのであろう。現在は今年の11月に向けアメリカ合衆国大統領選挙戦の真っただなか、政財にからむさまざまな人たちの思惑が見え隠れした国際会議であったといえる。

黒人MSMコミュニティの実態
 私の乏しい経験から申し上げれば、アメリカという国は物理的な入国手続きをすませたあと、自分を取りまく“コミュニティ”という別の国家にもういちど入国し、すべてはそこから始まる、そんな印象を与える国である。互いに異なるバックグラウンドをもつ人々が最初から多様性を認識して、社会は最初からきっちり区画化されている。アメリカでは流暢な英語は存在しても完璧な英語は存在しないが、それは(たとえば日本人にとっての日本語のように)最初からパーフェクトな相互理解を前提としているわけでなく、最低限の意思疎通で自分と他人の関係性を保ちながら共存できればそれでいい、という発想で社会ルールが運用されているからだと思う。その属性のひとつが州(State)という単位であろうし、あるいは人種(Race)や性的志向(Sexuality)、宗教(Religion)などのさまざまな属性、ということになるのだろう。
 一度そのコミュニティに属すると同一グループ内での結束を強め、その中でだけ人づきあいをする傾向がある。そのぶん外部との交流は疎遠となり、結果的に必要な社会生活に必要な情報が均等に循環しなくなる。アメリカ国内のHIV新規感染者のうち約7割が黒人(アフリカ系アメリカ人、カリブ海諸国、その他の国出身のアフリカ系を含む)で、黒人男性全体のポジティブに占める割合の73%がMSM。MSM全体から見れば、黒人が占める割合も40%。さらに年齢というセグメントでフィルタをかけると、13歳~29歳という若年層が突出しているという。「黒人でMSM、若年層」という三つのファクターが揃うと、MARPs(Most-at-risk Populations/感染リスクの高い人口層)という受け止められ方をされている。これらの人口層は、先に述べた公的医療保険の加入率の低いグループであることは容易に推察できる。
 「HPTN061」という、アトランタ、ボストン、ロサンゼルス、ニューヨークシティ、サンフランシスコ、そしてワシントンD.C.に住む黒人MSM(アフリカ系アメリカ人、カリブ海諸国、その他の国出身のアフリカ系を含む)を対象としたインタビュー調査(2007-2010年)では、いくつかの興味深い調査結果が発表されていた。
 これによると となっている。

 最近、アメリカ国内で人種間における経済格差の拡大、有色人種と白人の資産の差があまりにも大きすぎるとの報道がなされたばかりであるが、偶然にもこの調査報告は、アメリカの経済不況がアメリカ人の生活を直撃した低下した時期とちょうど重なる。若年層である、ゲイやバイセクシャルであるという自己認識が薄いなどの要素が、雇用の悪化で一定の学歴はあっても仕事がないという現状、さらにはこうした人種による経済格差の問題と結びついているのだろうか。
 アメリカ国内では、HIV新規感染について“誰にでも起こりうる話”としてではなく“あるコミュニティの一定の範囲内で劇的に拡散していく例”として認識しているようであり、そのあたりは日本をはじめとする他国のMSMの感染状況と共通している感もある。

 一方で最近の傾向として注目されているのは、感染の拡大が決して黒人のMSMだけにとどまらなくなってきている、という現象だ。
 最新の調査報告によると、ワシントンD.C.では、黒人のヘテロ女性のHIV感染率が2年間の間に2倍に増えているそうである。これについては、さまざまな理由が考えられるだろうが、治療の普及によってHIVポジティブの長期存命が可能になった一方、高齢者のセックスの問題が未着手のままになっていることは、可能性としてあり得る。更年期を過ぎた女性の感染リスクが高まる傾向が言及されているが、社会の中で高齢者が自身の性について適切な情報を得、恋愛やパートナーシップについて自分の意思をオープンに表明できるような機会は、実は“自由の国”アメリカですら普遍的には存在していないのではないか。性のモラルやコミュニティの閉鎖性、病気に対する恐怖感やスティグマをめぐる問題は決してMSMだけのものではないのだ、ということを、われわれはしっかり受け止めておく必要があるように思う。

Treatment is Prevention(治療は予防である) という考え方
 HPTN(HIV Prevention Trials Network)は、ワクチン以外の分野でHIV感染予防に有効と思われる研究調査を行っている世界的なネットワークであり、ここで得られた治験の成果はさまざまな形でHIV診療のガイドラインに反映されているそうである。 中でも2005年に開始され2010年に終了したHPTN052というプロジェクトに対する反響は大変に大きかった。約1800組のカップル(ほぼ全部がヘテロセクシャル)のうち、片方がポジティブで片方がネガティブの組み合わせを対象としている。抗ウィルス薬による治療を行っているポジティブが、ネガティブのパートナーに対してどの程度感染リスクを持っているか、というのが調査の目的で、結果的には血中のウィルス量が検出範囲の圏外に達しており、かつCD4が一定のレベル以上(350cells=m/m)で他にSTIなどを有していないポジティブ、などの一定条件のもとであれば、ネガティブを感染させるリスクは非常に低い、と報告された。
 2011年の5月に発表された報告では、HIVの感染リスクを96%減少させる効果があるという。さらに抗ウィルス治療はHIV感染者の結核感染の予防にも効果があるとの見方が示された。HPTN052では、抗ウィルス治療をどの時点で開始するのが疾病によるHIVポジティブの死亡リスクを下げるか、という点についても研究が行われ、これをきっかけに“治療を早めればリスクを低下させることができる”という認識が世界的に広がり、今回の会議の”裏テーマ”となった「Treatment is Prevention(治療を行うことが予防である)」や、HIVポジティブの立場からHIV感染予防を考える“ポジティブ・プリベンション”がさかんに議論されるようになってきている。特に、AIDS2012の開催直前、タイミングを合わせる形で発表された“米国FDAによる抗ウィルス薬ツルバダの予防薬への適用”に関する関心の高さは(予想通り)会議開催中、随一であった。
 HIVポジティブの世界的ネットワークであるGNP+(Global Network of People Living with HIV)は、先日、PLWHA団体として、Treatment is Prevention に関するPosition Paper(施策説明書)を発表した。それによれば、現在HIV治療に用いられている抗ウィルス剤を予防にも適用することは、結果的に人々のHIV/AIDSに関する関心を高め、自発的検査や治療、ケアを得る機会を倍増させるであろうこと、HIVポジティブにとってセックス時における予防方法の選択ができること(コンドーム使用有無を含め)、予防と治療の境目がより緩やかな状態になればHIVポジティブが抱えているスティグマ、偏見が減少するであろうと期待できること、国によってはHIVポジティブやMSMに対する法的規制が緩和される可能性があること、さらに、治療と予防のアドボカシーが現在のような関係性で存在するのではなく、両者をより密接な形で結びつけ、統合的なスタイルで協同したHIV施策が展開できる可能性があること、などを期待項目としてリストアップしている。
 一方で留意しなければならないこととして、HIV感染を生じさせる要因は血中ウィルス量だけではなく、(1)セックスの方法、(2)(アナルセックスの場合)能動的か受動的かというポジショニング、(3)精液など体内の分泌物に含まれるHIVウィルスの量、(4)男性用もしくは女性用コンドームが正しく使用できているか、(5)パートナーのどちらかに他のSTI(性感染症)が存在しているか、(6)ペニスの包皮が露出しているかどうか(包茎であるかないか)などの要因も影響していることを留意すべきであるとしている。実際、血中ウィルス量は常に一定ではなくその時々の健康状態によって変化するもので、最新の検査結果だからといってそれが本人のHIVステータスを100%証明することにはなり得ない、と考えるのが妥当であろう。
 同書では他にも、抗ウィルス治療開始のタイミングやウィルス量が極端に低いHIVポジティブが抗ウィルス治療によって明瞭な効果をあげることができるのかどうかについて正確な解答が提供されていない現状などを示している。

 会場内に展示された各国のポスター発表を見て回ったが、日本でも流行している梅毒、淋病、クラミジア、ヘルペス、尖圭コンジローマなどのSTIは世界のどの地域でも同様に流行しており、オーラルセックスによる梅毒感染の危険性を示すデータが多く報告されていた。個人的な見解を申し上げると、HIV感染についてはコンドーム使用が最大の防御であることはいうまでもないが、“HIVをうつされたくないのでアナルセックスはNG。だからオーラルセックスなど肛門性交以外の性行為であれば(ある程度過激なことをしても)大丈夫なのでは?”という認識が一定の人々に存在し、そのことがきちんと論議されぬまま、さまざまなSTI感染を広げてしまったのではないか、という気がしている(そしてこれはMSMに留まっている現象ではないとも思う)たとえHIVに関する関心が非常に高かったとしても、HCVやHBV、尖圭コンジローマの原因であるHPVといったウィルスに関する知識ガ欠落しているのは明らかな片手落ちであり、そこでHIVの存在だけが他と切り離されてしまっていることじたいが“非常に不思議な現象”にも思える。
 GNP+の意見説明書にも述べられているが、HIV予防薬の普及によって、私たちHIVポジティブの誰もが抱えているスティグマ…社会からの疎外感や孤立が少しでも緩和されるのだとしたら、これほど素晴らしいことはない。実際、子供を望むヘテロセクシャルのカップルにとって、Treatment is Preventionのメッセージは非常に力強い朗報となったはずである。
 その反面、薬がある=なんでも思うまま、自分の好きなことができる、という意識が増幅されてしまう可能性も否定できない。抗ウィルス剤の開発によってたくさんの人々の命が救われた(私もそのひとりである)ことは疑う由もないが…。「薬を使えばNo Problem!問題ないよ」という“油断”が、今日の世界の現状を作り出してしまった一面もありはしないか。そのことを、心のどこかに留めておくことは重要であると思う。
 最終的には、個人が自分の判断によって自分の予防や治療、ケア(メンテナンス)をチョイスしていくしかないのであろう。HIVはControllableもしくはManageable Chronic Disease(コントロール可能な慢性疾患)、と呼ばれるようになってきたが、コントロールすることができるほんとうの主体は、医療者でも抗ウィルス薬でもなく、治療を受けている「自分自身」なのだから。

HIV/AIDSと高齢化社会
 2015年までに、アメリカの120万人のHIVポジティブの50%、半数が50歳以上を迎えるという。現在のアメリカにおける65歳以上の人口は4000万人弱と言われ、先に触れたように高齢化率は13%程度である。しかし、一般人口の統計とHIVポジティブを混同して語ることはできない。HIVポジティブは、HIVネガティブと比べて身体機能的な老化が10~20年早いと言われているからだ。
 HIVをもってない人々においては60代、70代のころに発生しがちなトラブルが、HIVポジティブの場合、40代、50代にしてすでに発生している事実が統計上、明らかになってきている。心臓病、筋肉や骨の衰弱、肝臓や腎臓などの炎症などが主な症状で、これに一部の種類のがん(脳、頚部、喉頭部)が加わる。HIV治療薬の一部には、骨の脆弱化を早め、腎臓や肝臓などへの負担を与え、脂肪代謝異常や高コレステロールといった身体症状を引き起こす事例が報告されているが、HIVポジティブの老化は投薬治療の影響だけではなく、HIVというウィルスそのものが人体に侵入した時点で始まる不可避な事象でもあることが、最近の研究で明らかになってきたそうである。実際、HIVポジティブの患者の免疫細胞の状態を分析すると、何十年後かのネガティブの患者の状態と同じような所見がみられるという報告もある。たとえ抗ウィルス薬を継続的に服用していたとしてもHIVウィルスによる老化傾向を食い止めることはできない。
 もっとも、こうした研究がなされるようになったのは抗ウィルス薬を複数組み合わせることで治療が可能になったこの15年足らずのことであり、それまでは高齢化が問題化する前にエイズを発症して生命を落としていた、という現実に直面していたのだ。

 とはいえ、21世紀に生きるHIVポジティブにとって(これはもちろんステータスを問わず、誰もが真摯に考えるべき事柄だが)自分の老後をどう生きるか、というのは非常に重要な問題である。
 個人レベルで可能なのは、筋力トレーニングや有酸素運動などによる身体機能のトレーニング、タバコや飲酒など健康に影響を及ぼす恐れのある嗜好物の節制、食生活の管理、精神的、神経的疾患への対応、といったあたりであろうが、自助努力ではどうすることもできない住居や医療介護施設などのインフラ供給は、地域社会や国家レベルで運営されることが望ましい。しかし、HIVの感染リスクが高いと言われるMARPsがどれくらい存在しているのか推定値が出ないまま無条件で公共投資が行われるとも到底思えない。これからの時代は“健康なポジティブ”と“健康問題を抱えたポジティブ”の二極化、という問題がより深刻になっていく気もするが、ロールモデルとなるべきケースは残念ながらまだ報告されておらず、急速なアクセラレーションが進む現実に残念ながら対応できていない。
 AIDS2012で報告されたある統計によれば、50歳以上のHIVポジティブの50%がウツを患い、20%が不安神経症を抱えているという。また、非合法とされているリクレーショナルドラッグ(嗜好性の薬物)の使用率が高いのも高齢HIVポジティブの特徴だそうで、こうした薬物使用と抗ウィルス薬の併用が身体に与える影響についても、今後大きな論議を呼ぶことが予想される。さらに、50代以上のHIVポジティブの性のモラルや価値観についてどのような対応を考えていくべきか、という大きな課題も残っている。本報告の前半部分で触れたように、ワシントンD.C.のヘテロセクシャルの女性の間でHIV感染が急増しているという報告もあり、シルバーエイジのセックスライフとHIVという難題に、真剣に取り組んでいく必要があるだろう。
 アメリカだけでなくアフリカやヨーロッパなど各国共通で指摘されているのは、高齢化したHIVポジティブは交友関係が狭く、対人コミュニケーションに問題を抱えて長年にわたるスティグマから解放されることなく老いている人たちの数が非常に多いということだ。医療に関するサポートは無論のこと、非医療の高齢HIVポジティブに向けたさまざまなサービスをどう展開していくか。今の私たちに突きつけられた、非常に重い課題である。

全体を振り返って
 アメリカらしい華やかさもうかがえる半面、実は期待はずれも多かった、というのがAIDS2012の率直な感想であった。
 今回はアメリカの首都、ワシントンD.C.での開催で、若年層の黒人やヒスパニックのMSMの話が主流になるであろうというのは、参加前からある程度予測はついていた。オーラルセッションやポスター展示などではある程度仕方がないとあきらめていたが、この傾向が、たとえばグローバルヴィレッジのエリアにも反映されていたのに非常にがっかりした。人だかりができ、賑わいを見せているブースもあったが、無人のまま放置され、スペースがスカスカにレイアウトされている箇所がいくつもあったのである。
 勢いがあったのはBlack AIDS Institute(Executive DirectorのPhil Wilson氏はプレナリーセッションでも圧倒的人気を誇り、鮮やかなスピーチを披露していた)などのブラックパワーであったが、その他のHIV陽性者の団体やピアサポートグループの参加は少なかったように思う。昨年のICAAPやその他の会議が別に開催されていたのが事実としても、アジア太平洋地域からの勢いのよいメッセージ伝わってくることはあまりなかったような気がする。今後HIV/AIDSの急拡大が懸念されている地域にもっとスポットライトが当てられ、人々の関心が向けられてもよかったのではないか。HIVポジティブとして、今の日本の現状の参考となる事例を探ってみたのだが、自分が対応できる範囲内ではほとんど見つけることができなかったのは非常に残念であった。

 残念、という意味では“ベルリンの患者”、ティモシー・ブラウン氏の会見やコメントがライブで見られなかったのも心残りを感じた。骨髄移植による非常に過酷な治療を耐え抜き、ひと足先に“HIVウィルスフリー”を実現させたティモシーさんをこの目で見たかったというのが正直な気持ちだ。遺伝学的に極めてまれなドナーに提供してもらった非常に特殊な方法による治療であり、私たちの現実とは離れた次元のハナシではあるのだけれど、科学技術の進歩に無意識に大きな期待を込めてしまうのは確かである。
 もしお会いすることができたなら、聞きたいことはたったひとつ。
 「HIVが体の中から消えたというのは、どんな感じですか?」
 それで充分である。

 アメリカでの開催らしく、豪華ゲストによるスピーチを、ミーハー気分たっぷりに堪能できたのは、今回の国際エイズ会議の醍醐味であった。
 先に述べたヒラリー国務長官をはじめ、女優のシャロン・ストーン、ウーピー・ゴールドバーグ、元大統領のビル・クリントン氏。日本に帰国してから知ったことだが、「リーサル・ウェポン」や「カラー・パープル」で有名な俳優のダニー・グローヴァー氏も来場したと聞く。たしか彼は、Black AIDS Instituteのボードメンバーではなかったか?
 エルトン・ジョンのスピーチを聞きながら、彼が、80年代のエピデミックから逃れることのできたサバイバーのひとりだったのだ、ということにも改めて気づかされた。華やかなショービズの世界に生き、薬物依存症にも陥った彼がHIVに感染する機会は、たぶん数限りなくあっただろうに。
 「アメリカの保守的な政治家であるジョージ・W・ブッシュ…」と揶揄をこめながら、ブッシュ前大統領がPEPFAR(大統領緊急エイズ救済計画)を通じて膨大な資金を提供したおかげで、アフリカにおけるエイズ患者の命が救われたことに対し、素直に功績を称えてみせた。ここでの拍手は当然ながら少ない。しかし、アフリカにおける同性愛者弾圧に対し「いつの時代の話だ?今は21世紀だろ!」と噛みつくと、会場内から一気に歓声と拍手。彼はピアノや歌だけでなく、スピーチにおいても自分に何が期待されているのかをきっちり把握し、その期待感を裏切らず、きっちり魅せる。実に賢く、達者な人である。
 一方、End AIDSやらHIV-Free Generation など、理想論が飛び交う中で「そんなことが簡単に起こるとは思えない」と冷静に語ったビル・ゲイツ氏のコメントにかなりホッとさせられたのも事実である。“Orchestrated enthusiasm(巧みに編成された熱狂)”と評するジャーナリストの方がいたが、グラマラスなアイキャッチで人目を引くわりには“革新的な何か”が報告されなかったAIDS2012の成果の不足分を補うように美辞麗句がかぶせられる状況の中で、ゲイツ氏の発言にはある種の良心さえ感じた。
 開催直前に、家庭用のHIV検査キット発売やFDAによる予防薬としてのツルバダ使用認可が報道されたこともあり、プログラムの多くが予防法や検査の普及にあてられ、人々の関心がそこに集中していた。反面、今回のエイズ会議で、ワクチンを扱ったセッションはほとんど見られなかったのも(皮肉にも)今回の大きな特徴であった。

 私が宿泊したのは、D.C.の郊外から電車で30分ほどかかるタコマという住宅街の片隅にある簡素なホテルで、計6日間宿泊した。瀟洒な邸宅が豊かな緑に覆われ、街中のいたるところに教会が立ち並ぶ治安の良い場所で、樹木の幹の上をリスが行きかい、昼間から野鳥や虫の鳴き声も聞こえるほどの穏やかなエリアであった。ここで暮らす富裕なアフリカ系アメリカ人たちの姿とHIV/AIDSが広がりを見せるブラックコミュニティのイメージはおよそ結びつかない。つまり、HIV/AIDSの問題はそれくらい現実社会の中の非常に見えづらい部分にあるのだろう、ということを、毎朝、エイズ会議に向かう道すがら、緑の芝生を踏みしめながら考えていた。日本はどうであろうか?

 最後に、本視察に多大なる御支援をいただいた公益財団法人エイズ予防財団の皆様に改めて深く御礼を申し上げ、今回の参加報告とさせていただきたいと思う。